年上ということ

韓国の男性は、年上の男性を「형(兄、ヒョン)」と呼ぶらしい。年上に使う二人称が、呼ぶ人と呼ばれる人の性別に応じて4通り決まっている。それだけでなく、言葉遣いも必ず敬語である。言葉は文化の裏返しだ、という言説が本当なのだとすれば、なんだか日本よりも年齢による上下関係が厳しい気がする。

むろん日本にも、年上を敬いましょう、敬語を使いましょうといった慣習がある。バイト先に同期入社した4歳年上のお姉さんたちに、私は敬語で話す。対して彼女らは私にときどきタメ口だし、〇〇くんの先輩だから、というようなことをはっきり言ってくる人までいる。勤続日数も身分も変わらないんだけどな、と思わなくもないが、やはり喋ってみると自然と敬語が出てくるものである。なぜかと言われれば、年上だから、以上の理由はない。やはり年齢の壁は大きい。

ところが、年上なのに気軽にタメ口をきいてしまう相手もいる。たとえば、大学とは関係なく2〜3年の付き合いになる2つ上の学年の人たち。まじめな話のときを除いてほとんどタメで喋っている。時折そんな自分に自覚的になって、ちょっと怖くなることもあるが、やはり自然に出てくる言葉遣いは否定できない。それで嫌な顔をされたことはないので、これでよいのだと思う。ことにする。

さらには、趣味がある程度被っていてTwitterで知り合った5つ上の人たち。文字の上では敬語一択だが、対面で会うと、まじめな話以外であれば半々くらいでタメが混じる話し方をしてしまう。こちらも嫌な顔をされたためしはない。(気付いていないだけかもしれない)

そんなわけで、バイト先のお姉さんたちに敬語を使っていると、なんのために自分はこの人たちに語尾で敬意を表しているのか、わからなくなることがある。2つ上の人や5つ上の人とタメ口で雑談していながら、年齢以外に差のないこの人たちに必ず敬語を使わねばならぬのはなぜか。けっして社会のルールに怒っているなどという高尚な話ではなく、ただただ自分の感覚がわからなくなるのである。年上、というのが自分にとってどういう存在なのかがわからなくなるのである。

思えば、幼い頃から年上に甘えてばかりいた。小学校低学年の学童保育では、遊んでいる児童たちをほったらかして先生の手伝いや掃除ばかりしていた。同世代と流行りのアニメやゲームの話をするよりも、大人たちの会議に首を突っ込んでいるほうが楽しかった。クラスの友達とゲーセンに遊びに行くよりも、親や親戚、親の同僚の墓参りや役所回りについていくほうが安心できた。中学高校の部活動でも、先輩にばかり懐いていたような気がする。〇〇は年上に甘えるのが上手いよね、と言われたことがある。ちょっと嫌味に聞こえたが。とにかく、年上は私にとってつねに身近な存在としてあった。ひょっとすると同い年よりも。

バイト先の「先輩」になぜ敬語なのか、2つ上・5つ上の人たちになぜタメ口なのか、いまの私にははっきり説明できない。いずれも相当の親しみを持っていることは確実であるが、言葉遣いは分けてしまう。私にとって、目の前の相手が年上であるとはどういうことか。自分の言葉遣いに時々戦慄を覚えながらも、〇〇さん、と嬉々として呼びかける日々である。



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