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アーティストとしてのわーすた

#君と僕の青春歌 。約2年ぶりのツアーである。ツアーといってもこのようなご時世なので、東京と大阪のみ。大阪に行くから一応全国ツアーの体裁を取ってはいるが、実態は2大都市ワンマンライブである。そしてこれが坂元さん卒業前の最後のツアーでもあった。

新型コロナウイルスの影響でライブそのものが無くなって早一年と半年ほど。コロナコロナだと騒ぐ前の年の秋-冬でツアーをやっていたのが遠い昔のようで、私のライブ参戦もその年のツアー福岡が最後であった(熱心な読者の皆様ならそれがこのnoteの一番最初の記事だともうお気付きですね)。

わーすた自身は今年に入ってからはライブの回数も増やしていたが、それでも大型のワンマンライブは年に数回しかやらない状況であった(対バンやリリイベも多少はあったが、概ねファンクラブ向けイベントのみという状況)。そしてその貴重なライブは当然東京でしか行われなかったため、地方のオタクはさぞ苦しかったことであろう。そう、圧倒的なライブ供給不足に陥ってオタクはみんな苦しかったのである。

約2年ぶりのわーすたであった。その間に何度か配信では見たが、配信を見るためにファンクラブ会員になっているわけではない。avexに月550円も払って下支えしてるんだ。いい加減生で見せろや、という気持ちが伝わったのかどうかは分からないが、大阪までは来てくれたので一部二部ともに参戦することとした。

ZeppNambaで行われたライブは全席指定、キャパ50%と昨今の開催規程に沿った形で行われた。緊急事態宣言下で開催そのものがどうなるか心配ではあったが、そもそも開催規程に沿った形であれば緊急事態宣言下でも開催可能なのだからそれは杞憂であっただろう。全席指定でかつ声も出せないのでいつもの感じではないのだが、オタクと肌を密着せずに済むのは個人的にはありがたいことであった。オタクの汗はとろみがあって気持ち悪いので……。

参戦前に想定された今回のライブのポイントは以下の通り。

①坂元葉月の卒業ライブ前哨戦(5人体制での大阪≒地方ワンマンが最後)
②全席指定ライブパフォーマンス(コロナ以降は既に全席指定ではあるが)
③5人体制から4人体制へ移行する準備期間

①については、ライブ中メンバーからも発言があったとおりで、坂元さん卒業前の地方ワンマンとしては最後のライブであった。だからこそ坂元さんの地元に近い大阪でなんとしても開催したかった、というのもあったのかもしれない。

②コロナ以降は基本的に全席指定で、声出し禁止のライブである。今までのライブとは客席の反応ががらりと変わるわけで、ここに慣れるのが大変だと思った。今年からは徐々にライブ回数を増やしていたこともあり、このあたりがどうなっているか興味があった。

③はわーすた史上最も大きなターニングポイントになるであろう4人体制への移行である。年内で5人体制が終了することから、年内残り数少ないライブで手応えを掴めるのか。


メンバー、特に廣川さんは坂元さんの卒業を強く意識していたことは明らかであった。MC中でも、リーダーとしての意識もあっただろうが、坂元さんが最後の大阪ライブになることを幾度となく伝えていたし、二部の最後には涙を流していた程である。何の涙かは本人の口からは何も伝えられなかったのでオタクには知る由もないが、やはり坂元さん卒業の実感が湧いた瞬間がそこにあったのだろうと思う。約2年ぶりに行うことができたツアー最終ライブに感極まって……ではないだろう。今回のライブで4人体制のお披露目ライブ日程が発表されている。否が応でも卒業を意識させられたはずだ。

東京でのライブがどうだったかはyoutubeにupされるのを待つ段階だが、大阪での廣川さんは歌声に気合が入っていたのは明らかだった。おそらく今まで一番良かったのではないだろうか。これは是非みなさんにも見てほしい。身体を突き抜けるような歌声であり、そして90分間ほぼ安定したパフォーマンスを発揮していた。今回の2大都市公演を見据えて調整してきたことを感じさせるものであった。

全席指定公演についてはさすがに慣れてきたのか、ステージに戸惑いは無かったように思える。無観客配信を何度もやっているのが経験となったか。オタクがいるだけで十分魅せられるという自信も伝わってきた。地下アイドル全般に言えることだと思うが、以前のわーすたにはオタクとの一体感によってライブを作ってきた側面が少なからずあった。その片翼をもがれたのが2020年3月の5周年記念ライブであった。ステージパフォーマンスがいくら素晴らしくても、オタクとの一体感がなければ最高のライブは作れない。だけど今回は、あのライブを再スタートとして、今やれる形で最高のものを見せていこうと、この一年と半年頑張ってきたんじゃないか、そう感じさせるには十分であった。全席指定で会場がスカスカだろうが、オタクの声援がなかろうが、自分達はステージで戦っていけるという5人の自信を感じることができた。

だからこそ、この5人が続くことをオタクは望んでいると思うのである。5から4になるというのは一般論で考えても黄金比が崩れるわけだが、そうじゃなくてオタクはみんなこの5人と一緒に歩いていきたいんじゃないか。4人体制の想像なんか誰も出来ていないし、坂元さんは卒業しないんじゃないか。そう思ってしまうレベルのステージであったし、むしろ5人じゃないと駄目なのだと強く感じさせる出来映えであったのだ。

今回のライブではアーティストとしてのわーすたを強く意識させられた。現代日本においてアイドルという肩書は非常に幅広くなってしまっているが、私はアイドルというのは「プロデューサーの設定した世界観(楽曲等含め)をステージ上で表現する」ものだと思っている。それは70年代のアイドルから変わっていないとも思う。過去のアイドルはアイドルからシンガーへ変貌を遂げていったものだが、現代アイドルはアイドルのままでいる。アイドルの意味するところ、アイドルという肩書が指す幅が広がったとも言えるが、これはアイドルがアイドルのままでいて良いという需要の変化を表すものであるとも言えるだろう。プロデューサーの設定した世界観を表現するアイドルとしてわーすたはパラドックスツアーの時点で既に十分だったように思う。ただそれは言ってしまえばただのあやつり人形でしかなく、ステージ上のアイドルに自我はない。決められたことを100%発揮するだけである(まあこれすら出来ないアイドルが多すぎるのだが)。そしてそこから脱却できなかった時期がジャンピングサマーツアーの時期であり、自分たちの意思を見せ始め脱却しようと進み始めたのが遮二無二ツアーだったと、今回の君と僕の青春歌ツアーで感じるに至った。遮二無二ツアーの時点で個々の表現力に磨きがかかってきていたと思うが、あの時はグループとしてのパフォーマンス向上に目を奪われる比重が高く、ジャンピングサマーツアー時点との比較で大きな成長を遂げていたことがどうしても印象に残っている。君と僕の青春歌ツアーでは、パフォーマンスレベルも当然向上しているのだが、それよりもメンバー個々の表現力の向上を見ることができた。

アイドルがステージ上で自己表現をするのは実は難しいと思っていて、アイドルという商業システム上、先述したようにどうしても歌って踊る人形のようにならざるを得ない部分が大きい(稀に自己表現に悩む意識の高いアイドルがいるのもこういうところから来てると思われる)。ここから脱却できた時に、"アイドル"というものを真に表現できるいわばアーティストへと変貌するのだというのが持論である。肩書がアイドルなのかアーティストなのかはたまたシンガーなのかはどうでも良くて、"アイドル"をステージ上で表現できたものが本当の意味でのアイドルなのだ。大半のアイドル運営は実はこれを体感的にも分かっているからこそ個を消そうとしているし、グループ運営で個を曖昧にしているとも解釈できる(たぶん過大評価だろうけど)。

自我が芽生え始めたアイドル当人にとって、これを言語化できなくとも理解できているかどうかが重要であるが、わーすたはついにこのレベルのスタート地点まで達することが出来たんじゃないかと、これも過大評価かもしれないが、そう感じるに至ったわけである。楽曲を理解し表現すること。ダンスを理解し表現すること。演者、と呼ばれる所以であると思う。だから、このライブを見て、まだ5人で進んでほしいと強く思ってしまった。

いつか必ず終わりが来るのはオタクなら誰でもわかっているが、その終わりはみんなで迎えたいというのもまたオタクの偽らざる本音ではないだろうか。誰かに先に終わりを迎えて欲しくないのだ。きっと4人体制になっても何事もなかったように迎え入れるだろうし、同じようにみんなわーすたのオタクを続けるのだろうが、選択されなかった未来をどこかで望んでしまうのもまたオタクである。卒業ライブというわけでは無いが、このご時世なので実質卒業ライブだったオタクも多かったように思う。

kawaiiを突き詰めて、自分たちのkawaiiを表現できるようになったわーすたが、来年4人体制へと移行することで次に何を見せてくれるのか。そこに期待したい。


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