小山田圭吾さんの炎上について思うこと。

小山田さんの過去のイジメ問題は、今回新たに発覚したわけではなく、幾度となく炎上を繰り返してきた案件。それだけに、五輪の音楽担当に起用したら炎上しそうだな、ということくらい分かりそうなものですよね。

元々は1994年のロッキン・ジャパンおよび1995年のクイック・ジャパンのインタビュー記事の中で小山田さんが過去のイジメを「武勇伝」的なノリで自白したものだったのですが、それが約10年経った2000年代半ばあたりからネットで蒸し返され、拡散、を繰り返してきた経緯があります。

例えばこちらのブログは2006年に書かれたものです。つまり15年前。

2012年には東浩紀さんもこのブログを取り上げてます。東さんのツイートを見ると、先に野田易通さんが取り上げていたようですね。

ところで、ロッキンジャパンに小山田さんのインタビューが掲載された1994年という時代は、1995年にWindows95が発売される前年であり、インターネットなどという言葉すら、知ってる人はほとんどいない時代でした。

それで、言葉を選ばずに言うと、インターネット黎明期を開拓してきたのは、どちらかというと陰キャ、もっと言うとキモオタが中心だったと思います。もちろん、みんながみんなそうとは言いませんよ。

それに対して、1990年代の渋谷系ブームって、きっと陽キャのカルチャーだった気がします。

いずれにせよ、今でこそデジタルタトゥーなんて言葉もありますが、当時はまだ2ちゃんねるもなかった時代ですから、小山田さんやインタビュアーたちは、後にこうやってネットで蒸し返されるなんてことはきっと想像すらしてなかったと思います。

なので、そういう時代の記事を蒸し返して叩くのは、正直フェアじゃないと思います。

それに、インタビューそのものは1994~1995年のものですが、その当時の小山田氏は既に20代半ばであり、イジメが行われたのはもっと昔、1980年代です。

そして大人(といっても20代半ば)になった小山田さんは「今考えるとほんとすっごいヒドイことしてたわ。この場を借りてお詫びします(笑)」「人の道に反してること」と、一応は「悪かった」という認識を持てる程度には成長していたわけです。ただし、反省している様子はみられませんが。

また「この場を借りてお詫びします」の後ろに(笑)と書いたのは編集者であり、実際に小山田さんが笑っていたのかどうかはわかりません。まあ、多分笑ってたんでしょうけど。だいたい「この場を借りてお詫び」で済ませられる話でもないですし。

そして、この記事が約10年後にネットに転載されて拡散し繰り返し炎上することになるわけですが、小山田さんはそれに対してちゃんとけじめをつけることもなく、真摯に過去の悪行と向き合うこともなく、今の今まで放置してきたツケが、今になって噴き出したのかなあ、とは思います。

でも人間そんなもんじゃないですか?過去の悪行と向き合い、きちんとけじめをつけたとしても、過去の悪行が消えるわけでもないし、被害者の傷が癒えるわけでもない。覆水盆に返らず、なわけで。

じゃあ、過去の悪行と向き合いけじめをつけることがいったい誰のためになるの?きっと誰のためにもならないですよね。被害者ですら、そんなことは全く望んでいないと思いますよ。被害者が加害者に対して思うことは「死ね」これだけです。

ただ現実問題として被害者が加害者に「死ね」と念じ続けたところで死ぬわけではないし、加害者を恨み続けて得をすることは何もありません。また、加害者が被害者に必死に謝罪したところで許されることはない。だったら被害者は過去の被害を忘れてしまったほうが得だし、加害者だって誰の得にもならない謝罪をするよりは今を必死に生きようとするだろう。

微視的な視点で見れば、「被害者は過去のことを忘れ、加害者は二度と同じ過ちを繰り返さなければそれで良い」というのが、おそらく最適解です。

しかし、この考え方だと、もちろん被害者は泣き寝入りですし、巨視的な視点で考えた場合、将来の加害に対する抑止が働きません。

よく、犯罪に対する刑罰は何のためにあるか?という議論で、主に「教育」「報復」「抑止(予防)」の3つの論点で語られることが多いと思いますが、抑止というのは要するに、これから加害をしようと思ってる人に「自分が罰せられたくないから加害をやめよう」と思わせて、加害を思いとどまらせる効果を期待しているわけです。

つまり、小山田さんに対するバッシングは、報復というよりは「加害者がデカい顔してのうのうと生きていられる社会」への嫌悪感から生まれてくるのではないかと思います。

ですが、そうは言っても、過去に悪い事なんて何一つしてない品行方正な人なんてそうそういません。陰キャだから暴力なんて振るわないというのは間違いで、実家に引きこもって親に小言を言われて逆切れして親に暴力を振るう人などいくらでもいるわけです。

つまり、人の過去を無限に遡って罰する、なんてことを容認していたらキリがないですし、人間社会は成立しません。だから、ある程度昔のことについては、これはもう時効ということにして、罰しないようにしましょう、というルールにしたのが近代法のはずです。

ところが、近年、ネットのせいというべきかおかげというべきか、いくらでも過去の話を穿り返して蒸し返すことが簡単にできてしまう世の中になってしまい、時効という概念を軽視する人が増えてきたような気がします。

これって人間がだんだん猿に近づいてるってことなんじゃないでしょうかね。ピテカントロプスになる日も近づいてるんじゃないでしょうかね

近代法をちゃんと理解せず、お気持ちだけの正義を振りかざして悪人を飽きるまで追いつめる人たちが社会正義戦士(Social Justice Warrior)と揶揄されるようになって久しいですが、にも関わらずそうした傾向はどんどん強まっているように思います。

でも、彼らのやってることって、結局は正義の名を借りたイジメなんですよね。正直、どこまでが正義でどこからがイジメか、なんて私にもわからないけど、でも積極的に炎上に加担する人ってだいたいがイジメ気質だと思います。

ただ、小山田さんは、今回の炎上によって、今度こそ本気で過去のイジメと向き合い、けじめをつけるチャンスを得たと考えることもできると思います。小山田さんのような影響力ある人が、その影響力を、少年時代の小山田さんのような加害行為をなくすために使えば、それが小山田さんの罪滅ぼしになるんじゃないでしょうか。

もちろん、直接謝罪することも、「加害行為をなくす」ための活動の一環として考えたら無意味ではないですし、もし被害者の方たちがこの謝罪ショーに協力するのであれば、きっと「許す」という演出をするでしょう。

ですが、演出として「許す」ことはあっても、本音では絶対に許さないと思います。「今すぐ死ね」とまでは思わないかもしれませんが、「おまえが現れると昔を思い出すから、せめてどこかへ消えてくれ」くらいは思うんじゃないでしょうか。

でも、それで良いんです。小山田さんは、一生許されない十字架を背負い続ければ。背負い慣れちゃえばそんなものどうってことないですよ。


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