天皇の一夫一婦制は国を滅ぼさない

これは以前にも書いたが、仁孝天皇は15人の子をもうけたがうち12人が夭折し、無事成人したのは3人、うち男子は孝明天皇だけだった。孝明天皇も6人の子をもうけたが、明治天皇を除いてみな夭折している。明治天皇も15人の子をもうけたが10人が夭折、成人した男子は大正天皇ただ1人だけだった。

もちろん当時は伏見宮系の皇族がいたので万一のことがあっても皇位継承の不安はなかったが、それでも仁孝天皇の直系は綱渡りの継承であった。ところが、側室をもうけなかった大正天皇は貞明皇后との間に4人の男子を授かり、しかも全員が無事成人した。その長子である昭和天皇は6人の子をもうけ、1人は夭折したものの男子2人を含む6人が無事成人した。

明治天皇までの時代にやたらと夭折が多かったのは、血が濃かった影響もあるかもしれないが、そもそも当時の医療レベルが低かったということがある。日本で七五三を祝うのは、その年齢まで無事に生きることが難しかったことの名残だ。

しかし、大正天皇以降は医療レベルが格段に向上して、乳幼児の死亡率はぐんと減った。だがその副作用として日本の人口が急激に増え、人口が急に増えても食糧はそんなに急には増えないので、北海道の開拓、ブラジルやハワイ等への移民、戦争、満州の開拓……と、日本は好むと好まざるとに関わらず拡張主義を採らざるを得なくなった。

少し話が脱線したが、要は、側室を必要としていたのは乳幼児の死亡率が恐ろしく高かった明治維新直後あたりまでの話で、ちゃんと子供を作りさえすればだいたい皆無事に成人できる現代においては、側室は必要ない。

若年の皇位継承者が悠仁親王しかいないことを不安視する向きが多いが、私は楽観的に見ている。なぜなら現代の医療なら60歳を過ぎても子を残すことは可能だし、体外受精や精子の凍結など、やりようはいくらでもある。

あるいは、悠仁親王自身がそうした「裏ワザ」を用いてお生まれになった可能性もあると思う。当時、小泉政権下で女系天皇を制度化する議論が進められており、半ば決まりかけていたタイミングで悠仁親王がお生まれになった。そのため、女系天皇の議論は中断して、現在に至るのだ。もちろん、もしも仮に何かしらの裏ワザが用いられて悠仁親王がお生まれになったのだとしても、その真相は永久に世に出ることはないだろう。

おそらく愛子内親王も旧皇族から婿養子を迎えて宮家新設を考えておられるだろうから、もしもそうなればその他の宮家が全て断絶したとしても、2系統が残る。皇統を後世に紡いでいくにはこれで十分だと思う。

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