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「学生のくせに」なんて言葉に負けるな


ちょっと前のツイートですが。

大学生になって、言われてキツかった言葉が「学生のくせに」ってやつだったんですね。
なんというかこう…そもそも他人に言われるまでもなく、自分で自問自答しちゃいませんか?
今やってることって学生レベルって言われて笑われちゃうやつなのかなあ、とか。

だから、自分でも疑っていることを他人から言われたらもうトドメというか、図星というか。

「学生だから、こんなものだよね」
「学生なのに、すごいね」
そういう評価、別にどっちも欲しかったものじゃないや…

この世の中って、失敗は割と定義がはっきりしているくせに、成功は曖昧なままだから。
失敗した時は、
「やっぱり自分は"■■"だから、うまくいかないんだ」
って思うし、
成功している時も、成功していると判断できないから、
「自分は"■■"だけど、これで本当に大丈夫なのだろうか」
と疑う。

■■はどんな言葉も入り得ます。今回は"学生"だけど、人によってある時は"女"とか"障がい者"、ある時は"自信がないヤツ"、"やりたいことが分からない人"、エトセトラエトセトラ…

振り返ると僕の心理構造はそんな感じでした。
きっと偏見を受ける人が何かを挑戦するときの心の中って、こんな葛藤もたまにはあるのではないでしょうか。

でも、ある種の呪いじゃないですか、学生がやることは全てチープだっていうバイアス。
どんなに頑張ってもそもそも学生だという立場を変えられるわけじゃないし、じゃあ卒業や退学をして、社会人になったら途端に何かが上手になるわけじゃないし、こういうの本当に本質的じゃないですよね。

そういう自分の努力じゃどうしようもないものが、呪いだと思います。

だから"■■"な自分がだめなやつだという偏見を、まず自分の中から取り外したい。
僕はそう思います。

自分はもうちょっとだけ面白いことができるだろうか?
…もうちょっとだけ頑張ってみれるだろうか?

僕は自分が平凡な学生に過ぎないことは重々分かっているけど、
「平凡な学生ができること」に上限は設けたくありません。

言うほど簡単なことじゃないとは思います。
僕は今も本当は迷いながら書いています。
でもそうやって探りながら考えて、"■■"の僕はやってみています。

僕と関わってくれる人と、僕が関わっているプロジェクトの可能性もちゃんと信じられる人でいたいから。
卒業が近づいてきましたが、残りの期間も学生として、僕は頑張るつもりです。



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