便利さ VS 気持ちよさ その4 - 続・サステナブルシフト派の二大派閥 ②理屈タイプ -
シリーズ通して伝えたいこと
「過剰に便利さを追求するエコノミー(経済)も、
余剰を許さず不便さを強制するエコロジー(環境配慮)も、
どっちかだけだと疲れるから、うまいこと融合させて中庸を見つけましょうよ。
こんな人たちに読んでもらいたい、とイメージして書いてます。
どんな人は読まなくていいか、も考えてみた。
今回から考察するのは、理屈タイプ。
この構図で言うと...
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便利さ派 VS 気持ちよさ派
(大量生産) (サステナブル)
∟ 究極タイプ
VS
∟ 理屈タイプ(←ここ)
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前回からの続きです。
このまま何も変わらない、は理屈に叶わない
私のように、逆立ちしても究極タイプのようには生きられない怠け者としては、
(えぇ、ほとんどの人が怠け者であることを分かってて言ってますけども。だって理屈タイプだから。えへへ。)
自分を究極に律することは難しいけれど。
今の人口増を支えるために、今の使い捨ての利便性を維持するために必要な供給量と、現在の廃棄処理の限界を知っちゃうと。
別にハーバード大とか東大とか入れるレベルなんかでは全然ないこの頭のスペックでも、ちょっと理詰めで考えてみさえすれば。
あー、サステナブルにシフトするしか、そもそも手段残されてないじゃん。と帰結することは、そこまで難しいことではないです。
そして、あなたが私の脳みそスペックよりもCPU精度の高い理屈脳の持ち主だったら、早くも気付いてしまえるかもしれない。
便利さとサステナブルは、相反するものではなく、共存 / 融合させることもできるんじゃないかって。
私はその融合 = 中庸の道を選ぶことにしたんです。
なぜならそれにのみ唯一、理屈に叶う未来予想図が見えたから。
“妥協ハイブリッド"がいいんじゃない?
数で上回ることを転換点と捉えることが、なんとなくやだとか、そう思いたくないとか、人間には理屈で動くわけではないタイプも存在します。今度はそっちに視点を切り替えて考察してみる。
行動を伴うマインドチェンジが既にできている人は実際にいます。そしてこれも肌感覚でしかないんですが、割とそういう人は、理屈や便利さよりも、気持ち良さを感覚的に優先している人が多い印象です。
不便であっても、環境に配慮していないならあえて選ばない、という選択ができている人。
例えば、ペットボトルを絶対買わないで、マイボトルにおうちで水を入れてきている人。
どんなに暑くてもエアコンは使わない!とか、一定の温度までしか意識的に下げようとしない人(東南アジアの国々のエアコン設定温度なんかあり得ない!的な)。
あとは、肉アレルギーとか体に合わないと言う理由ではなく、肉食が環境に及ぼす悪影響を意識してベジタリアンやヴィーガンになっている人。
TVで焼肉やラーメンの食レポを見ても、そのスタンスを曲げずにいることができる強靭な精神力を持てている人。
何が強靭なのかを、この理屈脳で考えてみると、数の論理なんか関係なく、「自分は自分。私は環境を汚すことを自らするようなことはしない」という意思を持てている人。
私は、価値観は多様であったほうが世の中面白いと思っている人間なので、ある意味模範として、ある意味究極タイプの例として、この1%以下に当たる人の存在はあったほうがいい(面白い)と思っています。
ただ世の中、そんなに即断即決、悪・即・斬で一気に解決できないことの方がどっちかというと多いじゃないですか。
**
そんな私は、名付けてしまえば、理屈と妥協タイプ。**
「これが正しい方向性だ!」とは全然思ってませんが、「みんなこう考えれば楽なのにー」とは思っています 笑。
物事は本来ゆっくりと、スローに、改善されていくものだよね、という文筆家古谷経衡氏の言葉への共感を込めて。
次回、便利さ VS 気持ちよさ その4
- 完・サステナブルシフト派の二大派閥 ②理屈タイプ -
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