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あたたかさに気付くとき。

コロナ禍で仕事は全てストップし、
今まで住んでるのかってくらい会社にいたのに
ずっと家にいるようになった。
ずっと会社にいたから、生活は放棄していて、自粛期間暮らすには限界があった。

生活を心配してくれた家族がわざわざ車で迎えにやってきて、都心から少し離れた実家に戻った。

人も少ないし、出歩く必要もあまり無く、空気は美味しいし、日当たりもいい。
寝過ぎそうになっても母の大声で起こされるし、疲れて動けなくても手作りの料理が出てくる。
悲しくなったら猫たちが慰めてくれるし、毎晩のように弟とビールで乾杯するのも日課になった。

日々当たり前のように暮らしていくことは、入社以来諦めていた。
帰りは遅いし、疲れてメイクも落とさずベッドに倒れ込む日もあった。
毎日コンビニ弁当でも、特になんとも思っていなかった。
家族にしばらく会っていなかったことも、あまり気にしていなかった。
でも、気付いてしまった。
当たり前に家族がいてくれて、当たり前に手作りの料理が食べられて、学生の頃は当たり前にあった暮らしがすごく貴重で大切であたたかいものなのだと。

仕事が始まれば、私はここにはいられない。
都心にいた方が急な対応もしやすいし、全てを円滑に進めやすいから。

そして、ついに仕事が始まろうとしている。
本当に本当に嬉しい仕事。
心から嬉しい。
けれど、同時にあまりにも寂しくなって気付いたら泣いてしまっていた。

暮らすことは大切なことだ。
食べること、眠ること、話すこと、笑うこと、他にもたくさん。

コロナにはすごく迷惑しているけれど、おかげで気付いたこともあった。
暮らしのこともそのひとつ。

家族がどれだけ私を想ってくれていたか、
どれだけ当たり前にたくさんのことを私に与えてくれていたか、
そして私がどれだけ返せていないのか。

当たり前だと思っていたことは全く当たり前なんかじゃなく、料理も洗濯もお風呂掃除もなにもかも大変な仕事なのに、働きながらそれを全てやってくれていた母があまりにも尊い。

都心では外に干せなかった洗濯物や布団を実家では外に干す。
すると、みんなお日様の匂いになって返ってくることがあまりにも尊い。

疲れた時、何故かそばにすり寄ってきてくれるふわふわな猫たちがあまりにも尊い。

喧嘩ばかりしていたのに、いつの間にか仲良くなり、一緒にお酒を飲みながらいろんな話が出来るようになった弟。本当に本当に尊い。

温度のないものが存在せず、家族であり、実家であるからか、暮らしのすべてがあたたかい。
自然と私の心まであたたかく穏やかになっている。

ずっと胃が痛くて、ろくに食事もとらないようなストレスフルな生活に慣れていたのに…
そりゃあんな生活してたら胃も痛いしストレス溜まるし苦しくもなるよね、と思う。
そしてやっぱりここが好きだと思ってしまう。

「幸不幸は同じだけやってくる」というけど、私にとっての不幸が実家を離れることなのだとしたら、そのくらい我慢しろと自分に言い聞かせる。
元に戻るだけなのに、すっかり弱気になってしまったから、気合を入れなくちゃ。
毎週帰ってくればいい。大丈夫。

なにより、こうしてせっかく知った当たり前の暮らしや当たり前の尊さを忘れずにずっと大切にしたい。
今のわたしのまま、このやさしい気持ちのまま、大好きなスタッフや会社の仲間とも付き合っていきたい。
私にとってのゆたかさは、あたたかさだから。
私の感じたあたたかさを、大好きな人たちにも分け与えられるようになりたい。

あまりにも不安になって自分を落ち着けようと泣きながらこれを書いていたら朝になった。
眠たいので寝ます。
おやすみなさい!

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