マケドニアと日本の繋がり
第一章 マケドニアの歴史
マケドニア🇲🇰王国という国があった。
成立 前808年
分裂 前323年
滅亡 前168年
最初にできた王朝はアルゲアス朝
最初の君主はカラノス
カラノスの父は
テーメノス - ギリシア神話の人物
アルゲアス朝(テメノス朝) - 古代ギリシアの王朝。テーメノスを初代としたことからテメノス朝と呼ばれる
テメノスには、もう一つの意味がある。
それは、人名ではなく聖域を示す言葉
神聖な空間を囲うというキーワードで、北欧神話アース神族たちが住んでいたアースガルドが浮かんだ。
🔸マケドニアの建国については諸説ある🔸
もう一つギリシャに伝わる伝説では、マケドニア最初の王朝であるアルゲアス朝はドリス系のギリシア人により建国されたとされる。
ドリス系とは❓
マケドニアを最初に作った人々に鉄の武器を持つ者たちがいた。
鉄の武器を持つもの=ハットゥーシャ=ヒッタイト=スキタイ=スサ族である。
ここでスサ族とマケドニアをつなぐキーワードが見えてきた。
この接点ポイントの年代はギリシャの伝説によれば紀元前1100年頃になる。
そこから800年後、紀元前300年ごろにアルゲアス朝はアレキサンドロス三世の時に最盛期を迎える。
そして、リターンズへ
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の基礎資料になる。
第二章 アレキサンドロス3世と西スマトラ・ミナソカバウ
京都大学名誉教授 加藤剛が書いた
西スマトラ・ミナソカバウの社会構造場
一母系制を中心と して-
の中に以下の文章がある。
この小論に出会い、1つの繋がりが見えた。
それは、日本史の中で空白の時代
あまりよく事実が見えない空白期
紀元前300〜紀元400年頃の時代である。
空白の歴史(西暦266-413年)を示す一つとして、
中国の南宋に伝わる歴史書"宋書"ある。
倭の五王がいたとされる時代。
その少し前は卑弥呼の時代、多くの古墳が作られた時代でもある。この時代とアレキサンドロス3世の息子たちが繋がってくるのだ。
倭の五王とは
讃・珍・済・興・武(サン・チン・セイ・コウ・ブ)の五人の王が南宋の正史【宋書】に書かれている。
この2-5世紀時代は16万基あるとも言われる古墳が大量に造られた古墳時代である。
多くの歴史的建造物が造られた時代なのだが、どのような時代であったのか明確に伝える資料は少なく古墳調査は場所によっては調査自体ができない場所もあり、誰がいつ創ったのか❓明確なものは少ない。
一般的に日本には、今上天皇に至る126代(皇紀2683年)の歴史がある。
では、この時代の天皇は誰だったのだろう❓
もしかしたら、その天皇が南宋に遣使を送ったのかもしれない。
古事記や日本書紀によると、この時代の大王は、
西暦270年 応神天皇 (讃?)
第15代天皇。『日本書紀』での名は
誉田天皇(ほむたのすめらみこと)
西暦313年 仁徳天皇 (珍?)
第16代天皇。『日本書紀』での名は
大鷦鷯天皇、業績から聖帝(ひじりのみかど)
西暦400年 履中天皇 (済?)
第17代天皇『日本書紀』での名は
去来穂別天皇。仁徳天皇の嫡子。
西暦406年 反正天皇 (興?)
第18代天皇『日本書紀』での名は
瑞歯別天皇。兄弟継承した初の天皇
西暦412年 允恭天皇 (武?)
第19代天皇『日本書紀』での名は
雄朝津間稚子宿禰天皇。乱れた氏姓の改革
倭の五王とアレキサンドロス3世の息子たちとの時代は、数100年のラグがある。
ここを繋ぐのが、秦の始皇帝嬴政と日本に大量にやって来た徐福である。
推論
アレキサンドロスの末裔が弓月国を作り秦氏と合流し→中華統一に動き秦国が誕生し
徐福チームと秦氏チームを日本に帰還
九州及び出雲王朝の中枢に入り込む
そして、誕生したのが大和王権となり
倭の五王が誕生していく。
なんと、繋がった。
補足
ドーリアが日本と繋がるもう一つの視点
建築様式はドーリア式がある。ドーリア式はそのシンプルで力強い様式が特徴がある。
ドーリア式は、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)のひとつであり、イオニア式、コリント式と並ぶ3つの主要な様式に位置づけられる。ドリス式、ドリス様式とも呼ばれる。
など、現代の日本の建造物にもドーリア式❓
はたまたタルタリヤ式とも言える建築様式が残っていた。
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