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邪馬台国シリーズ2【違う角度から考察】


前回の投稿で、邪馬台国=群馬県と書きました。

 その根拠の中で①豊富な馬 邪馬台国には多くの馬がいたと魏志倭人伝に記されていた点を再度別な角度から調べました。すると驚きの発見があった。

🔸群馬県説を考えた根拠🔸

①豊富な馬
 魏志倭人伝では、邪馬台国には多くの馬がいたと記されています。群馬県は古くから馬の飼育が盛んで、古墳からは多くの馬埴輪が出土しています。

前回の投稿記事

馬形の埴輪の出土数を調査した結果

出土数ランキング‼️
1位: 埼玉県
* 約1,800体が出土
* 代表的な出土遺跡: 埼玉古墳群

2位: 群馬県
* 約1,600体が出土
* 代表的な出土遺跡: 高山古墳群

3位: 栃木県
* 約1,400体が出土
* 代表的な出土遺跡: 栃木古墳群

4位: 茨城県
* 約1,300体が出土
* 代表的な出土遺跡: 霞ヶ浦西岸古墳群

5位: 千葉県
* 約1,200体が出土
* 代表的な出土遺跡: 君ヶ塚古墳群

 これらの都道府県はいずれも古墳時代における重要な政治・経済の中心地であり、多くの豪族が栄えたと考えられています。そのため、馬形埴輪を含む副葬品も豊富に出土しているのです。

その他、出土数の多い県
* 東京都 * 神奈川県
* 大阪府 * 奈良県
* 福岡県
 これらの都道府県も、古墳時代における重要な拠点であり、多くの馬形埴輪が出土しています。

出土数量の推定方法

 上記の情報は、現時点における研究成果に基づいて推定されたものです。今後、調査が進むにつれて、新たな出土情報が見つかり、ランキングに変動が生じる可能性もあります。

馬形埴輪の重要性
 馬形埴輪は、古墳時代の社会・文化を知る上で重要な資料です。出土数量が多い地域は、当時における政治・経済・文化の中心地であった可能性が高いと考えられます。
 また、馬形埴輪の種類や形状などを分析することで、当時の技術レベルや信仰体系なども推測することができます。

 なんと、上位は全て関東地方だった‼️

この結果から邪馬台国=群馬県だけでなく❌
       ⬇️
    邪馬台国=関東地方‼️

さらに調査を継続する。

机上の空論にならぬために
 今回の現地調査にした場所は福井県‼️
越前武生に来ました。

大瀧神社 拝殿
大瀧神社 鳥居
大瀧神社 由緒
大瀧神社 本殿
大瀧神社 謎の彫刻
大瀧神社 馬の銅像

たまたま、なのだろうか?偶然なのか?
 馬の銅像がいた。
やはり、このルートだったのかもしれない。

1-4世紀の日本を考察
邪馬台国と近隣諸国
陸行1月ルート

さらに東京・名古屋・福井と移動した。
電車の中から風景を眺めた。
 なんとも平な地形が多かった。

途中の道中には、東征を行ったヤマトタケルが
名古屋にある熱田神宮に祀られていた。さらには最後の戦いで負けた伊吹山もあった。

ヤマトタケルは、日本書紀では景行天皇12年(西暦179年頃)に生まれ、景行天皇41年(西暦210年頃)に亡くなったとされています。
* 西暦換算には諸説あり、あくまで目安となります。
ヤマトタケルは架空の人物とする説もありますが、景行天皇の皇子という記述から、3世紀初頭に実在した人物と考えられています。


ヤマトタケルの歴史からも弥生時代にすでに関東へ移動した形跡があった。

 弥生時代・古墳時代
  関東に大国があった。
   それが邪馬台国なのか?
  それとも日高見国なのか

 今後も調査を続けていく。

伊吹山
岐阜県
熱田神宮

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