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自分ってなんなんだろうね

大人になってからわかったことがいくつかある

ライオンのオスは狩りをしないとか
家にある植物は人の手が入らなくなったら枯れるとか
自分は自分でしかないのだとか

社会人になって丸5年
ハタチになってから8年
いろんな人といろんな話をして、いろんな価値観を自分の中に吸収して、自分はこれが好きだなとかこれが嫌いだなとか
私を作るものはなんなのだろうとか

毎日毎日色々な問いを自分にし続けてわかったことがある
それは、自分は自分が思っていたよりもニュートラルであるということだ

今よりよい暮らしがしたいとか
収入を上げたいとか
他人に自分のことを認めてもらいたいとか
あんまりそういうことは思わないんだなと思った

逆に、他人と比べて自分はこうだからとか
なんでこんなにできないんだろうとか
同じことしてるはずなのになんで自分はとか
そういうことも特に思わない

「ああ!もうめっちゃ悔しいわ!」とはならないんだなあと気づいたんですよね

かと言って向上心がないとか
他人に全く興味がないとかそういうことではなくて
困っている人がいたら助けたいし、
むしろ困るまえに手を差し伸べたいし
私といることが楽しい人とはなるべく一緒にいたいし楽しんでもらいたいし
世界中の人が全員に優しくなれたらいいのになあなんて考えています

嫌なこともないわけじゃないけど、
嫌な思いを全くしなくてよいほどよい人間じゃないから
嫌なことがあっても「ああ今日は最悪な日だったな」って思いながらアイドルの動画でも見ていればそのうち機嫌も直ってくるもので
それでも落ち込む日は泣いたり笑ったりお酒を飲んだりゲームしたり夜風にあたったり友達に連絡したりしたらいいんだと思います

自分が自分でいることって意外と難しいことだなと思っていて
だって、自分の中にはいろんな考えがあるじゃないですか

例えば、この年にもなると結婚やら子どもやらについて周りに言われることも増えてくるわけですけど
そりゃあ、結婚したいなとか子ども欲しいなとか願望がないわけではないけれど
本当に結婚したいのか?結婚するとどんなことがあるのか?それは結婚しないと叶えられないことなのか?とか
相手側の家族の問題とかどうするの?自分の家族の将来のこともわからないのに?とか

子ども欲しいけど、もし自分の子どもが障害を持って生まれたとしたら、自分はその責任が取れるのか?とか経済的な負担を理由に子どもに我慢させてしまう事態には今後絶対にならないと言い切れるのか?とか

漠然とした憧れと同じかそれ以上に、結婚や出産といったことの重みに対する自分の気持ちがいくつもいくつもあって
それはたしかに”私“という存在の中に同居していて

そんなことが何に対しても起こっていて
どちらの意見を立たせれば自分がより楽しく生きられるのかを
常に、ずっと、考え続けているんだなと思っています。

そして、いろいろなことを考えて考えては
結論のでない問いに疲れ、その問いから逃げることも多々あるわけです。

それ(自分の中に対立するさまざまな思考)を全人類が持っているんだなと思ったら
そりゃあ他人とわかりあうことなんか無理中の無理だよな、というのが自分の現在の見解です。
だって自分の意見だって100%こう!って言い切れないのに、他人の悪いところや意見が変化しゆく様を咎める権利があるわけないんだもの。


こんなこと聞かれたことないけど、座右の銘は「人間は考える葦である」である私にとっては、与えられただけの仕事をこなすとか、世の中に全く価値のないものを生み出すとか、思考の止まった人生を送るということがいちばんの苦痛(苦痛というかつまらないこと)であるということにも、最近気づきました。

自分という存在はなんなのか
どういう状態になれば自分がここに存在していると理解できるのか
それは人生をかけてもわからないかもしれないけれど、
ひとまずは目の前にあることと自分の中で想像しうる一番最悪の事態に備えて
一つひとつ考えを巡らせながら一日いちにちを大切に過ごしてゆこうと思っています

将来のことは不安だし、生きていけなくなる時がくるかもしれないけど、
そうなったらそうなったで、その時はそれが自分のあるべき姿だと受け入れていこうと思います。

ここまで長文で書き殴ったけど、病んでいるわけではありません(笑)
常日頃思っていることを言葉にしてみようと思ったまでです
参考にも糧にもならないかもしれないのに、ここまで読んでくれてありがとう

これを読んでくれたすべてのひとの幸せを願います
謝謝♡

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