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北海道マラソン2024

8月25日に北海道マラソンを走ってきた。

結果は、2時間42分38秒で80位。

途中から足の痛みが出て、思うように走ることができなかったというのもあるが、それだけではなく暑さにもやられてしまったように思う。

不甲斐ない結果に終わってしまったことは言うまでもない。

それなりに走れたときは、ふり返りの文章を書くのも気持ち良く書けるのだが、うまく走れなかったときや大失速したときというのは、文章を書く意欲も湧かないし、むしろ早く忘れてしまいたい。

ただ、うまくいかなかったときに感じたことは、今時点ではそれほど重要に感じなくても、時間が経過してから価値が出てくることもある。

未来の自分が、今回の経験を読み返したときに、何かの気付きとなればと思い、ここに書き綴っておきたいと思う。

故障のこと

2023年の6月に左足裏を故障してから、1年以上が経過した。

週に1回のペースで治療をしてもらいながらここまできたが、長い距離(16km~)を走るとまだ違和感が出るというのが現状だ。

では、短い距離(1500mや3000m)はどうかというと、痛みはあまり出ないけれど、以前に比べて出力(パワー)が出ていないような感じがしている。うまく地面を蹴れていないのだろう。

特に1000mは分かりやすく、2分40秒を切ることが難しくなった。

もちろん、マラソンを走ることに対しての不安が大きかったことは言うまでもない。

トレーニングのこと

6月と7月は月間800㎞以上走った。

月間800kmというのは、走ると決めてさえしまえば、意外となんとかなるものだ。

7月は週に1回のペースで40㎞を走るようにした。

ペースは4分00秒~3分55秒/km。
決して速いペースではなく、標高1450mの白樺湖ということと、足の状態を考慮して、控えめの設定としたわけだが、それでも40㎞を走ると終盤は足に違和感が出た。

7月下旬の出張の際に駒沢公園を走ったときも、距離を32㎞に減らしたのだが、それは暑かったからというのもあるが、左足への負担が大きかったというのが本音だ。

私にとっては、気温34℃よりも左足の違和感のストレスの方が大きかった。

合宿のこと

8月の第1週には、自宅を拠点として1泊2日の合宿を行った。

1日目の1000m×3本
2日目の集合写真

直前に、参加したいと連絡があった人もいて、大所帯での合宿となった。

2日目の40km走

その中でも群を抜いて力を見せつけていたのが、吉岡龍一君(左側・黄色いウェア)だ。

彼は短い距離も長い距離も強く、1000m×3本は2'48-2'44-2'32で走り、40kmも余裕で流しながら3'50/kmのペースで走っていた。

これは強いと舌を巻いていたら、なんと北海道マラソンでも2位になっていた。

彼のこの後の活躍が楽しみだ。

移動日のこと

今回、北海道に行くにあたって、金曜日(大会2日前)の飛行機で飛ぶことにした。

マラソンを走るのであれば、移動日は2日前が理想だと思ってはいるものの、実際には前日の飛行機で飛ぶことが多い。

なぜかと言えば、費用の問題だ。

しかし、今回は2日前の移動となった。
それだけ、土曜日の飛行機が高かったのだ。

北海道に行く飛行機は、信州まつもと空港から、1日に2便(丘珠線と新千歳線)飛んでいる。

自宅から空港までは、高速道路を使えば1時間弱で行けるのだが、この日は手土産を買っていく都合で下道で行くことにした。

下道を使っても1時間15分くらいで行けるため、時間に余裕さえあれば下道でも差し支えはない。

空港に到着すると、同じ飛行機に乗る予定だった友人から連絡が入った。

高速道路が交通事故のため、通行止めになっていて、飛行機に間に合わないかもしれないとのことだった。

こんなときに、トラブル回避することができたのは、かなりラッキーだったと思う。

空港で搭乗手続きをしていると、空港スタッフに「丘珠空港行きですか?」と尋ねられた。

「飛行制限のため、運行時刻が大幅に遅れる可能性があります。」とのことだった。

信州まつもと空港の滑走路は2000mと短く、それに加えて標高も高いため、満席で機体が重くなり、気温上昇によってエンジンが本来の出力を発揮できないなどの要件が重なると、離陸することができないのだという。

そのため、燃料をカットして機体を軽くして、とりあえず出発して新潟空港あたりで途中給油をするか、涼しくなってから飛ばすのだというが、途中給油はあまりにもロスが多いため、後者の方法を取るというのだ。

信州まつもと空港は、標高差のため途中給油が必要なことがあるという噂は聞いたことがあったが、実際にあることを知って驚いた。

正直悔しい気分だった。

しかしながら、数分後には「機長の判断により定刻通りの運行が決まりました。」とアナウンスがあり、それにより私の友人は飛行機に間に合わないことが決まった。

満席なのに、隣の席は空いていた

飛行機からは、夕方の空にど迫力の雲が見えた。

なんだろう、天空の城ラピュタに出てくるような雲だ。

また、着陸前には、飛行機の周りに虹が出た。

まるで、虹に覆われていたのではないかという感覚だった。

FDA機

飛行機が結構揺れたこともあり、軽く船酔い状態ではあったが、無事に北海道に到着。

丘珠空港から大通公園まではあっという間だった。

大通公園は夕方でも29℃

この日の大通公園は夕方でも29℃あり、信州より暑く感じた。

夕方はエキスポに行ったり、スープカレーを食べたり、2日前の移動というのは、いろんな面でゆとりがあって良かった。

onのブース
ラマイのスープカレー

レース前日のこと

前日は、朝軽めのジョグをしたら、受付をするくらいしかやることがないので、のんびりと過ごした。

朝の北海道大学構内
ソフトクリーム
受付会場の札幌グランドホテル
いろんなブースで記念撮影

レース当日のこと

朝は4時半くらいに起きて、軽めのジョグ。

当日の朝の気温22℃

思っていたよりも、ずいぶんと涼しい。

当日の朝はスペシャルドリンクの受付をするくらいしかやることがないので、割とのんびりできる。

スペシャルドリンクの受付

当日はボーダーのシャツを着ていたのだが、案の定エリート選手に見えないのか、最初は制限エリアに入場する際に止められてしまった。

そのおかげで、2回目以降は顔パスとなった。

レースのこと

マラソンがスタートすると、1人が飛び出してその後方に20人くらいの集団(いわゆる2位集団)ができる形となった。

私はその2位集団の最後方にいた。

ペースは3'10/kmくらいで、速すぎず遅すぎずといったところだった。

ちょっと速いかなとも思ったが、他に行くあてもないので、その集団に留まることにした。

足の状態はあんまり良くはなかったが、序盤はそれでも良い方だった。

飛び出した先頭との差は少しずつ開いていたが、集団も牽制する雰囲気があり、誰かが前に出て追いかける感じではなかった。

個人的には、「えっ?いいの?いっちゃうよ。」と思っていて、集団の後ろが走りづらくなってきたこともあったので、13kmあたりで前に出ることにした。

テレビに映るつもりは無かったけれど、友人が後からテレビに映っていたことを教えてくれた。

戦略や実力を考えたら、集団の後方でおとなしくしていた方がいいことは間違いない。

そんなことは誰でも分かる。

ただ、私は日頃から「強さ」をテーマに掲げてトレーニングにも取り組んでいる。

集団の後方でおとなしくしているか、消耗するのを覚悟でペースを上げて集団を引っ張るのは、どちらが強いのか。

そう考えたとき、身体は自然と前に出ていった。良くも悪くも自分らしさであろう。

集団を引っ張っているときは、楽しかったし、気持ちが良かった。

余裕がなかったわけではないが、足の違和感が出ていたこともあり、だんだんと余裕が無くなっている感じがした。

再び後方に下がると、一気にペースダウンして、集団からは離れてしまった。

そこからは、ますます状況が悪くなる一方で、足に力は入らないし、水分も摂りたくなく、汗も出なくなってきた。

水分を摂っても吐いてしまいそうで、それでも無理しながら給水を摂りながら走ってきた。

ペースは4'40〜4'50/kmくらいまで落ちて、ジョグになってしまっていた。

途中棄権するほどではなかったが、走るのがキツくて、1km毎の距離表示の間隔が長く感じられた。

フラフラになりながらも、なんとかジョグのペースを維持して、ゴールまでたどり着くことができた。

こうして私の北海道マラソンは終わった。

レース後のこと

走り終えて思ったことは、完走できて良かったということだ。

なんだかんだ言っても、生きて帰ってくれば勝ちだ。

完走すれば、完走賞のメダルを獲得することができるし、フィニッシャータオルもタンブラーももらえる。

もちろん、悔しい気持ちもあるけれど、途中で棄権していたら、もっと悔しい気持ちになっていたと思う。

走った後は、内臓が疲れていたのか食欲はなく、出かける元気もなかった。

それでも、ホテルで寝ているだけではもったいないと思い、外に出ることにした。

札幌農学校のソフトクリーム

ソフトクリームを食べようとしたのだが、これが全く捗らず、溶けるスピードに食べるスピードが追いつかなかった。

マラソンを走って内臓がやられたのは、どうやら私だけではなかったようで、終わった後にジンギスカンを食べに行こうと約束をしていた友人もダウンしてしまっていた。

これにより、私はジンギスカン難民となり、大通公園を彷徨うこととなっていたのだが、そのときに偶然会ったのが、

2位に入った吉岡龍一君だった。

純銀のメダルを間近で見せてもらったが、カッコ良かった。

8月初旬の合宿が何かのキッカケになっていたとしたら、幸いなことだ。

帰り道

マラソンが終わると、旅の終わりは一気に近づく。

帰りの丘珠空港では、何一つトラブルもなくスマートに離陸。

あっという間に信州に帰ってきた。

ただ、それでも北海道マラソンの余韻はしばらく残っていた。

頭の中では、ひたすら北海道マラソンのテーマ曲のサカナクション「新宝島」が流れているし、なぜかスープカレーが食べたくなり、自ら作ってしまうほどだ。

レースの結果こそ芳しくはなかったものの、旅としては楽しいものだったということだ。

しばらく身体を休める時間を作って、次のマラソンに向かえるようにしたいと思う。

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