左右対称
走りを見るときに、「左右対称」を1つの理想として捉えることがある。
それは、人間の身体を外側から見ると、足が2本、手が2本、目が2つ、耳が2つあって、左右対称に見えるからであり、その身体を動かすのに、左右対称の動きが最も効率が良いのではないかという前提があるからだ。
ゆえに、身体の中心に軸を取って、左右のバランスを整えることが大切と教える人もいる。
しかし、解剖学的には心臓も肝臓も片側にしかないし、利き手や利き足もあるので、人間は決して左右対称ではない。
走る路面にしても、トラックは回る方向は左回りと決まっているし、ロードにしても、若干ながら路面は傾いている。
だから、シューズの減り方を見ても、それが左右対称になることは少ない。
ただ、「人間は左右対称である」という考え方が根底にあると、それはバランスが悪いこととして捉えられるし、なるべく左右対称になるように修正しようとする。
一方、「人間は非対称である」という考え方が根底にあると、それは必然であり、そういうものだと捉えられる。
自分の身体を「左右対称」だと捉えるか、「左右非対称」と捉えるかで、その後の考え方や方向性に大きな違いが生まれてくる。
たったそれだけのことだけれど、「前提」というのは人を大きく変える。
そんなことからも、1つの考え方に捉われずに、様々な角度、視点、立ち位置から多角的に物事を見ることの重要性を感じる。
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