本当にやりたいこと
どんなことでも自分がやりたいことを一生懸命やればいい。
私たちはそう思いがちだ。
でも、そこには嵌りがちな落とし穴がある。
それは、「現在とらわれていること」と「本当にやりたいこと」は違うということである。
例えば、「一番食べたい物は何か?」と聞かれたとする。
夏の暑い日に、給水もせずに、汗をかきながら、長時間走ってきた直後だったとしたら、「スイカ」とか、「かき氷」、「冷たいジュース」と答えるだろう。
寒い冬の日だったら、「ラーメン」とか「鍋焼きうどん」、もしかしたら「温かいコーヒー」かもしれない。
でもそれは、「今食べたいもの」であって、「本当に好きな食べ物」とは違う。
「本当に好きな食べ物」を選び出すためには、もっと深いところに問いかけなければならない。
例えば、「今まで生きてきた中で一番おいしいと思った食べ物は何か?」とか、「明日地球が滅びるとしたら、最後に何を食べたいか?」とか、「大事のレースの前日に食べたら、力が出る食べ物は?」とか、このように深いところまで、掘り下げていかなければ見えてこない。
そうやって掘り下げていった結果、「梅おにぎり」が出てきたとしたら、それは、暑さや寒さ、のどの渇きに「とらわれたもの」でない、「本当に好きな食べ物」と言えるだろう。
ただ、私たちは、知らず知らずのうちに、現在とらわれていることに左右されてしまっている。
例えば、砂漠を越えて隣の国に向かわなければならない2人の男がいたとする。
そこに老人が現れて、
「水1kgか金1kgがある、どちらか1つをあげるから選びなさい。」
と声をかける。
ここで、Aさんは水をもらい、Bさんは水をもらったAさんを愚かだと思いながら金をもらう。
灼熱の砂漠は険しかったため、Aさんは老人にもらった水でなんとか生き延びて砂漠を越えることができたが、Bさんは大きな金塊を抱えながら国境手前で脱水になり息絶えてしまった。
Aさんは今必要なものを選び、Bさんは価値のあるものを選んだ結果だと思う。
それは、価値の有無と、今必要なものが違うからである。
価値のあるトレーニングと、必要なトレーニングが必ずしも一致するわけではないのと同じだ。
必要なことを優先せざるを得ないため、やりたいことから離れてしまうというのは、よくあることだと思う。
私たちは本当にやりたいことをやれていないことが多い。
それは、とらわれているものに占められる割合が、思っている以上に大きいからだと思う。
でも、私たちの深層にはもっと大きな「本当に自分がやりたいこと」が眠っている。
その方向に向いていかないと、全然関係ない方向にいってしまう。
そうなると、いくら進んでも満たされない。
そればかりか、時間、エネルギー、お金、あらゆるものを使い果たして消耗してしまう。
「やりたいことをやれ」と簡単に人は言う。
しかし、やりたいことをやっているのにもかかわらず、満たされないのだとしたら、それは「本当にやりたいこと」ではなく「今必要なこと」なのかもしれない。
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