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金沢マラソン2021

2021年10月31日、金沢マラソンを走ってきた。

昨年12月の防府読売マラソンを走ってからの10か月ぶりのフルマラソンであり、ぬけぬけ病から回復してからの初めてのフルマラソンだった。

今年は、1月から3月までほとんど走れなかったものの、5月からは月間走行距離を700km以上をキープしてきたので、トレーニングもそこそこ積めていたように思う。

ただ、その月間700kmの中身は、早朝と夕方のそれぞれ16kmくらいのジョグ(5’30/km)がメインで、朝も眠くて起きれなかったり、雨が降っていたりしたら無理してまで走らないという緩いもの。

徹底して毎日やれば、もっと距離も踏めるのだとは思いつつも、徹底してしまうと負担も多くなり、その結果継続することが難しくなるので、適当なところでバランスを取りながらやってきたところもある。

30km以上の距離走も、ガンガン追い込むことなく、3'45/kmくらいのペースで走ることが多かった。

大きな故障から回復した後ということもあって、「故障しないこと」と「無理なく続けること」をテーマにやってきた。

だからと言って、全く身体を追い込まないわけでもなく、身体を追い込むのは、インターバルトレーニングのとき。

7月、8月は身体に余計な負担をかけてしまうこともあったが、9月、10月は身体への負担をコントロールしながら、トレーニングを続けることができたと思う。

今回は、レース4日前のトレーニングもいい感じで走れていたので、良い状態で金沢マラソンを迎えることができたと思う。

マラソン当日の朝は、曇っていて、気温も13度くらいで走りやすそうなコンディションだった。

今回は、記録が狙える時期でもなく、自分よりも速いランナーがたくさんいたため、「記録を狙おう」とか「入賞するぞ」という具体的な目標は掲げていなかった。

どんな走りができるのか、どんなレース展開になるのか、全く分からなかったため、レースの流れに乗っていこうと思っていた。

はっきり言えば、ノープランということだ。

スタートの号砲が鳴ると、私は第二集団の後ろの方にいた。

というのも、スタートの位置がBブロックで、その前にAブロックのランナー(10人くらい?)がいたので、若干遅れてスタートするような感じだったからだ。

1kmの入りは、3分14秒。
スタートして、すぐ上り坂だったことを踏まえても、ペースのわりに身体は軽く感じた。

このとき、第2集団の後方を走っていたわけだが、序盤の街中を走るセクションで、コーナーが多くてなんとなく走りづらかったことや、第1集団(先頭)との差があまり開いていなかったことを見て、第1集団に移動することにした。

第1集団は3,4人くらいだったので、その後ろが走りやすそうだと感じたのだが、しばらくして3km地点手前(金沢駅の折返し地点の辺り)で、先頭を引っ張っていたランナーが後方に移動してしまったため、私が先頭に出てしまった。

マラソンを走る上で、レース序盤はなるべくエネルギー消費を抑えて、温存する戦略を取るのが基本だと思う。

先頭に出て集団を引っ張るということは、なるべくしたくない。

ましてや、自分よりも速いランナーと走っているともなれば尚更だ。

戦場で生き残る者は、真っ先に逃げた者か、最後まで戦い抜いた者だという。中途半端な気持ちで参戦したり、途中で逃げ出したりする者は戦死する可能性が高くなるということだ。

つまり、どんなことでも中途半端はハイリスクに繋がる。

結果はどうなるか分からないが、私は先頭を走っていくことにした。

3kmから4kmのラップタイムは、3分3秒。
先頭に出て気持ちが高揚したのか、ペースも上がっていた。

ただ、不思議なことに誰もついてはこなかった。

そのうちに力尽きて落ちてくると思われたのかもしれないし、集団には大勢の強豪ランナーがいるので、その気になればいつでも追いつけると思われたのかもしれない。

ここからは独走だった。
後ろを振り返ることもしなかった。

5kmの通過は、15分59秒。
10kmの通過は、32分10秒。

12kmくらいまでは上り基調ということを踏まえれば、悪くないタイムだった。

12kmあたりを過ぎると、そこからは長い下りの区間が始まる。

トンネルを通り、広い道路から狭い道路に入り、直角コーナーが多い区間を通り、街中に戻ってくる。

ハーフの通過タイムは、1時間7分29秒。
ここまできて、うまくいけば自己ベストが狙えるかもしれないと思った。

実は、レース序盤から独走でフルマラソンを走ったことは初めてではなく、2年前の松本マラソンもスタートからゴールまで1人旅だった。

そのときのイメージを思い出しながら、後半のレースを組み立てた。

金沢マラソンのコースは、中盤がフラットで走りやすいこともあり、3分10秒~3分15秒/kmのペースを維持したまま、30kmくらいまでいくことができた。

ここまでくると、気になるのは後続集団とのタイム差。

32km手前に折り返し地点があるので、そこで後続集団のタイム差を計ることにしたが、概算で90秒の差がついていた。

残りの10kmで、1kmあたり9秒以上差を詰められなければなんとかなるというわけだ。

それと同時に、後続のランナーの動きを見ていたので、3分20秒/kmを超えないように走っていけば、なんとか逃げ切れることを判断した。

このあたりからは、日差しも強くなってきていた。

前半から多めに水分補給はしてきたつもりだったが、それでも、水分が足りないと思うほどだった。

35km過ぎは、今までのマラソンでは3分30秒/kmを超えるようなこともあったが、今回は3分16秒~3分20秒/kmくらいで持ち堪えていた。

途中のエイドで、梅や塩タブを取って食べたのが良かったのかもしれない。

また、石川県庁の近くの給水所で、不意に取ったドリンクがコーラだったのはすごく嬉しかった。

38km過ぎの最後の折り返し地点で、2位とのタイム差を計ったら50秒くらいだった。

ここまで来て、ようやく逃げ切れそうだという確信が持てた。

40kmの通過は、2時間9分28秒。

このままいけば、2時間16分台も堅いかと思ったが、40kmを過ぎてからは、手足に痺れを感じ始めた。

2年前の長野マラソンで、ラスト1kmから失速してライバルに敗れたこともあったので、無理して痙攣を起こすのだけは避けたいと思い、安全運転に切り替えることにした。

今日自分が一番頑張ったのは、レースの序盤から中盤にかけて。
ラストは、少し楽してもいいかなと。

そんなこともあり、2時間17分03秒でゴール。

手足は痺れてきていて、それでも笑顔でゴールしたいと思ったら、メチャクチャな表情になっていた。

正直、ここだけはやり直したい気分だ。

ゴールしてからも、優勝したという実感は全くなく、追われていたプレッシャーから解放された安心感が大きかった。

今回は、なんとか逃げ切ることに成功したけれど、同じことをもう一度やったとしても、再現性は低いだろう。

レース展開や、タイミング、集団心理、時の運のようなものが複雑に絡み合って勝てたのだ。

今回、30km以降に大きな失速が無かったことも勝因の1つだと思う。

日頃のトレーニングの積み重ねが、このようなところに繋がっているのかもしれない。

また、走っているときには、ずっと頭の中で、ある音楽が流れていた。

group_inou(グループイノウ)「THERAPY」という曲だ。

この曲を前日に聴いていたこともあり、走っているときにずっと頭の中でリピートされていた。

ランナーなら、同じような経験がある人も多いのではないだろうか。

こういうのを、ディラン効果(イヤーワーム)というらしい。

「かつて熊とライオンとも闘っていた勇敢な犬サモエドのようです!」

「イルカのヒーリング効果、自宅で簡単イルカセラピー」

先頭を走りながら、頭の中でこのフレーズが何回流れてきたことか・・・

これも、自分の走りに集中できた要因かもしれない。

ただ、「THERAPY(セラピー)」という名前とは裏腹に、癒しの効果はあまり感じられず、むしろ中毒性の強い曲であることは、申し添えておきたい。

ゴールした後は、すぐに帰るつもりで予定を組んでいた(優勝どころか入賞さえも難しいと思っていた)こともあり、取材や表彰式が終わってから帰路につくまでは、バタバタだった。

大変だったことは言うまでもないが、そんな経験さえも嬉しい思い出である。

最後に、美しいトロフィーやたくさんの副賞をいただいた。

前日にプログラムを見たときに、ふと見かけたトロフィーが、自分の手元にあるというのが、不思議な気分である。

少しずつだけど、自己記録も更新できているので、次に繋げていきたいと思う。

いただいたサポートは、アイシングの財源にしたいと思います。