変な人になろう

世の中には、たくさん「変な人」がいる。

もちろん、私もその中の1人だと思っている。

一般的に、「変な人」というのは、感覚や価値観が多数派の人たちと違ったり、常識が通用しない人だったり、言動や性格に独特なクセがある人のようなニュアンスで使われているが、実際にはそうではない。

というのも、日本人はみんな「変」だからだ。

昔、「ここが変だよ日本人」というテレビ番組があった。

見る度に、「ああ、変で良かったわ、日本人」と思ったものである。

そう、私たちは変なのだ。


「千と千尋の神隠し」という映画がある。

私も、何回か見て感動したことを覚えている。

しかし、どういう話だったのかは覚えていない。

というか、さっぱり分からない。

映画が始まると、いきなりお父さんとお母さんが豚になる。

何か説明があるわけではない、いきなり豚になるのだ。

「あれ、何で豚になったんだ?」
欧米の人が見たらそう思うだろう。

しかし、私たち日本人はそんなことは思わない。

みんなで一気に乗り越えてしまう。

次に、温泉旅館みたいなところへ行くとカエルが出てくるのだが、これがよくしゃべる。

「えっ、何でカエルがしゃべるの?」
欧米の人が見たらそう思うだろう。

しかし、ここでも、私たち日本人はそんなことは思わない。

それで、スーパー銭湯みたいなところへ行くと、クモのおじいさんみたいなのが出てくる。

「えっ、何でこのおじいさん、クモみたいなのだろう?」

もちろん、私たち日本人はそんなことは思わない。

そして、主人公の少女がスーパー銭湯の床を掃除していると、顔があるのか無いのか分からないようなものが、すーっと出てくる。

それで、白い龍が空を飛んで、電車が海の中を走って、それで映画が終わって、私は感動して泣いているのだ。

この映画は、2001年に公開され、興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入ランキング第1位、観客動員総数ランキング第1位という名作である。

日本でこの映画がこれだけ流行るということは、一律に日本人は「変」ということだろう。


他にも、「男はつらいよ」という映画があった。

これは、50作くらい続いた。

主人公はいわゆるニート、主人公がニートの映画を1,2本くらい作る国ならあるだろう。

しかし、50作も作ったのは我々日本人だけだと思う。

しかも、あの主人公が一番幸せそうに見えてくるから不思議だ。

一遍上人や西行法師から伝わってくる、男が遍歴放浪に憧れる、そんな文化や生き方があの映画に混じっているのではないかと思う。

だから、他人から「あなたは変わっている」と言われても、何も臆することはない。

堂々としていればいい。

また、変な人になればなるほど、多くの人からは理解されなくなるものだ。

ゆえに、孤独になることも多いかもしれないが、はっきり言って変人には友達は必要ない。

変人にできるのは友達ではなく仲間だ。

同じ方向を見ている仲間さえいれば十分である。

さて、「変な人」というのは、他の人があまりやらないことをする少数派の人なので、

つまり、言い換えれば

キレイな海で泳ぐ人のことである。

一方で、普通の人というのは、周りの人と同じことをする人なので、

混雑した海岸で泳ぐ人のことである。

こうなれば、とことん「変な人」になるしかないと思うだろう。

「あの人、変わってる」という言葉は、変えたくない人から見た言い方に過ぎず、チャレンジャーに対しての褒め言葉でしかない。

だから、自信を持って「変な人」になればいい。

そして、キレイな海に行こう。

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