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松本マラソン2022

2022年11月13日、松本マラソンを走ってきた。

結果は、2時間27分17秒で2位。

マラソンで久しぶりに2時間20分を超えるタイムとなったので、失敗レースとして捉えてしまいがちだが、高低差114mの難コースだったことや、風速7mの南風が吹き荒れていたことを踏まえると、そこまで悪かったわけでもないように思う。

調整について

金沢マラソン(10/30)を走ってから松本マラソン(11/13)までは、ちょうど2週間。調整期間としてはタイトではあったが、過去に福岡国際マラソンを走った2週間後に防府読売マラソンを走った経験もあったので、正直なんとかなるだろうと思っていた。

金沢マラソンの疲れは、脚へのダメージとしてはほとんど気にならなかったのだが、身体へのダメージは見えないところで結構あったのだと思う。
その一端として、この2週間は朝起きるのがしんどくて、朝走るのをやめて、睡眠時間に充てることが多かった。

ただ、それは今回に限ったことではなく、マラソンを走った後というのはいつも同じなので、それほど気にすることでもなかった。

マラソンは、行き詰ったら眠るのが最善策だ。

レースについて

さて、今回の対戦相手はプロランナーの川内優輝選手。
今までの中で一番手強い相手と言ってもいいだろう。弱点は無い。
現状で私にできることがあるとすれば、「耐える」くらいだ。

松本マラソンは、全体を3つのエリアに分けて攻略するのが分かりやすいので、3つのエリア毎にまとめていきたいと思う。

序盤(松本城と城下町を感じるエリア)

スタートすると、思っていた通り川内選手が飛び出していった。
スタート直後は下り坂ということもあり、スピードに乗っていってしまったわけだが、しばらくすると差が広がっているわけでもなく一定の距離を維持しながらの状態となった。

その後、2km過ぎで一度追いついたので、後ろに付こうかと思ったのだが、再びペースを上げられて逃げられてしまった。

このとき、「後ろに付かせない」というメッセージを読み取った。

そして、再び川内選手との差が大きく開いた。

一気に差が開いたのは、川内選手がペースを上げたこともあるが、私自身が3km過ぎからペースダウンしたというのもある。

このとき、背中というか胸のあたりが痛くて、例えるなら悪魔に心臓を握られているような感じで、呼吸が苦しかったのだ。

当然、松本城や城下町の景色を楽しむ余裕なんて無かった。

松本市美術館、マリオのパックンフラワーみたい

ただ、この痛みは諏訪湖マラソンのときにも経験していたものだったので、少しすれば回復するという確信もあった。実際に7kmくらい(薄川沿いのあたり)には回復して事なきを得た。

このとき、先頭の川内選手からは150mくらい離されていて、タイムにして25~30秒ほどの差だった。

川内選手との差を縮めることは難しいと思っていたのだが、薄川沿いを抜けて13kmあたりまでくると、少し差が縮まっているように見えてきた。

松本マラソンの11km~14kmというのは、市街地を抜けて田川沿いを南に向かうところ。緩やかな上り坂と南から強く吹く向かい風により、中速セクションが低速セクションになっていたことは言うまでもないだろう。

中盤(アップダウンの激しい赤木山エリア)

14kmを過ぎると、アップダウンの激しい赤木山エリアに突入する。
従来のコースには、このアップダウンのエリアはなく、そのまま塩尻方面に向かったわけだが、今回のコース改正で新たに追加されて、松本マラソンの難所として位置付けられている。

ここまでくると、先頭を走る川内選手との差が縮まり、5~10秒くらいになっていた。斜め右前方向から吹く風で時折ふらつくような場面もあり、突風が吹いた後に差が詰まるような感覚があった。

16km付近で川内選手を捉えた。
当然余力を残しているとは思ったので、どうしようかと悩む。

ピッタリと後ろに付いたら振り切られるかもしれないので少し距離を置いて走るか、向かい風が強かったので後ろに付いて風除けにして走るか。

それで、どうして自分が前に出て風除けになろうとしたのかはよく分からない。

ただ、その後すぐに上り坂が終わり、下り坂になったところで、再び離されてしまった。ここで、ペースを上げることもできたが、左足にマメの予兆があったこともあり、思いとどまるしかなかった。

その後、もう一度上り坂があって、コースの最高地点へ。
ここでコースの中間地点となるが、通過タイムは1時間10分34秒。
今回タイムが見込めないことは、言うまでもなかった。

中間点を過ぎると、そこからは下り坂。
これが思っていたよりも急で、大門峠を彷彿させるような坂だった。

写真は金澤氏から頂戴

マメを気遣いながら下り坂を走るのは、思っていた以上にシビアだった。

山を下ってからは、高速道路沿いで再び風に煽られて、えびの子橋(国道19号)を渡る。

給水の度にシューズに水をかけて、マメが悪化しないようにしようとしたが、なかなか水をかけるのが難しかった。

終盤(広大な眺めの信州スカイパークエリア)

えびの子橋(国道19号)を渡り、小俣橋(奈良井川)を渡ると、終盤のエリアに突入する。

30km地点を過ぎると、また緩やかな上りと向かい風。そして、32km過ぎにある急な上り坂を越えるとようやく信州スカイパークに入る。

ここで、空港の滑走路の下を潜るトンネルに入ると、ライトが点いておらず、真っ暗で何も見えないという珍事。ここまで先頭争いをしていたら、このトンネルが勝負を仕掛けるポイントになっていたかもしれない。

34kmあたりから公園内に入ると、ここからはジムカーナのような小刻みなワインディングが続く。
ここからは下り基調と追い風になるので、スピードに乗れる高速セクションと思っていたが、小刻みなワインディングが続き、全くスピードに乗れない低速セクション。

マメの影響があったことは確かだが、それを除いてもペースは上げられなかっただろう。

39kmを過ぎると、小刻みなワインディングに加えて向かい風となる。それに加えて小さなアップダウンもあって、「もう勘弁してくれ」と声に出るほどだった。

今回一番苦労したのは、中盤の赤木山のエリアではなく、終盤の信州スカイパークのエリアだったことは言うまでもないだろう。

それでも、無事にゴールに辿り着けたことは良かった。

シューズのこと

今回、新しい試みとして、アシックスのメタスピードスカイプラスを履いて走った。

「メタ」は、ギリシア語の「meta」を由来とする言葉で、「越える」とか「高次の」といった意味の言葉とされているが、実は諏訪地方の方言にも「めた」という言葉があって、「やたら」とか「ますます」という意味で使われている。

諏訪地方の方言が使われているので、このシューズには愛着があるし、このシューズで結果を出したいと思っていたのだが、どうやら私には合わないのかもしれない。

メタスピードスカイプラス

ただ、これは私の左足の問題であり、右足が無傷であることからもそれは明らかである。シューズが素晴らしいものであることは間違いないので、申し添えておきたいと思う。

走った後のこと

ゴールした後、大会公式サポーターでありスピードスケート五輪金メダリストの小平奈緒さんとお話をさせていただいた。

表彰式に向かうときに、足にできたマメのことを気遣ってくれて、競技力だけでなく人間性も尊敬できる素晴らしい人だということを感じた。

表彰式では、小平奈緒さんから松本の伝統的な民芸品の「松本てまり」をいただいた。

松本てまり

トロフィーやメダルも嬉しいものだけれど、こういった地域性のあるプレゼントは記憶にも記念にも残るので嬉しい。

また、川内優輝選手からも、お土産をいただいた。

赤城RedSunsを彷彿させるキーホルダーは、ロータリーエンジンを搭載するFD3Sがオイル漏れを起こりやすい車種であることを意味していて、マメを早く治すようにというお見舞いのメッセージであることは言うまでもないだろう。

最後に

レースの前日に、grnup_inouの「STATE」という音楽を聴いたせいなのか、走っているときに時折頭の中でこの曲のメロディーが流れてきた。

中毒性が強いので、興味がある人は試してもらいたい。

5回聴いてからジョグに出かけると、頭の中で勝手に再生されることだろう。

ゴールが出雲駅伝に似ている気がするのは、私だけだろうか

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