2つの目標の達成

先日の日体大記録会での10000mの自己ベスト更新と、長野県縦断駅伝での総合優勝を達成することができたので、ここで振り返りをしたいと思う。

まず、11月16日に日体大記録会があった。年度当初から11月の日体大記録会10000mで28分台を狙いたいという構想があった。

例年であれば、長野県縦断駅伝の1週間前に記録会が行われるのだが、今年は日体大記録会と縦断駅伝の日程が重なってしまった。

しかし、チャンスはここしかない。

そのため、日体大記録会10000mを走ってから、翌日に縦断駅伝に合流するというプランを描いた。

縦断駅伝はもちろん大事だが、トラックで自己記録の更新というのも、いつまでもできることではない。

正直、来年も今と同じ走力で走っていられるのか分からない。そういう意味でも、先延ばしにはしたくなかった。

とは言え、チームが縦断駅伝に向けて一丸となっているときに、自分だけが違う目標に向かっていくというのは違和感でしかなかった。

また、11月初旬にトレーニング中の転倒により傷めてしまった膝の痛みが取れなかったことも大きかった。

もし、膝の痛みが悪化して、縦断駅伝に影響を及ぼしたら…

そう考えると、何度も日体大に行くことをやめようかと思った。

日体大に行くからには、28分台で走ることは必至。そして、縦断駅伝でも凡走は許されない。
最低でも区間新記録の走りをしなければならない。

誰かに言われたわけではないが、そのくらい自分を追い込んでいた。

やはり、チームメイトと別の行動をする以上、そのくらいの覚悟は必要だと思ったし、そのくらいの結果が出せないなら、縦断駅伝に専念すべきだと思ったからだ。

ただ、今の自分にそこまでできるのか。

万全とは言えない状態で、今無理してやるべきなのか。

それは、本当に葛藤だった。

走ることに対しての「ワクワク」「ドキドキ」と「不安」「心配」がぶつかり合っていた。

最後の最後まで迷ったが、私は日体大に行くことを決断した。

その決め手となったのが、志茂田景樹氏の言葉だった。

「もしも、君が平穏より波乱万丈の人生を望んでいるのなら、怖れず敵を作れ。怖れなければ、敵からは損なわれることよりも学ぶこと、吸収することの方が多いことに気付くだろう。」

私は、志茂田景樹のファンではない。
むしろ、ずっと変な人だと思っていた。

しかし、この言葉を読んで私は感動した。

これは、つまりあの奇抜なファッションの小説家の偉大なる魂と空間を超えて、コミュニケーションが取れたということだ。

10000mは最終組、コンディションは良好だった。

今回のレースプランとしては、5000mを14分25秒くらいで通過して、集団の流れに乗っていきたいと思っていた。

ところが、2000mからはちょうどいい集団が無かったため、自ら引っ張らざるを得ない状況になってしまった。

その結果、2000mから7000mは集団を引っ張るという形となってしまったが、日頃のトレーニングの成果なのか、安定して走ることができた。

7000mからは少し苦しい場面もあったが、他の人に引っ張ってもらいながら、なんとかペースダウンを最小限に抑えて終盤に持ち込む。

ラスト1周の通過は27分55秒、最後を65秒以内で回ってくれば28分台。

残っていた力は全て出し切れた。
今年一番のラストスパートだったと思う。

タイムは28分58秒89、

思っていたよりギリギリになってしまったが、なんとか28分台を出すことができた。

1000m 2’51
2000m 5’43
3000m 8’37
4000m 11’32
5000m 14’25
6000m 17’20
7000m 20’16
8000m 23’13
9000m 26’09
10000m 28’58

走った後は、腿が痙攣しそうだった。
少しだけ、ダウンジョグをして帰路につくこととした。


さて、次は縦断駅伝。
もう一度、ベストパフォーマンスを発揮しなければならない。

日体大から自宅に戻ってきたのが23時過ぎ、そこから準備をして寝たのは0時を回っていた。

なかなか眠れずに、ほとんど寝ない状態で朝を迎えたが、不思議と疲れは感じなかった。

日頃から、睡眠時間が2,3時間という中でもトレーニングをすることがあったので、睡眠不足にも対応できるようになっていたのだろう。

長野県縦断駅伝、私の所属する「全諏訪チーム」は1日目を終えて5位だった。

そのタイム差は6分9秒。

しかし、チームメイトの快走の連鎖によって、いい流れに乗って私のところまでやってきた。

タスキをもらう時点では、総合順位も2位まで浮上、あと1分50秒で逆転というところまできていた。

「これはイケる。」

スタートからハイペースで突っ込んでいった。

なぜか、疲れは無かった。

コースの下見は一切していなかったが、4年前に走っていたので、なんとなくイメージはできていた。

今回目指したのは、4年前に自らが作った区間記録(51分19秒)の更新だ。

他の誰かが作った記録ならともかく、自分自身の記録なのだから更新ができないわけがない。

そう考えたら、区間新記録という目標はそれほど高いものには感じなかった。

私が走る21区はこの駅伝の最長区間であり、その距離は17km。

ただ、全く長いと感じることはなかった。


沿道の応援に応える余裕もあったし、いくらでも走れそうな感じだった。

なんだろう・・・

まるで、踊っているような感じだった。

1km 2’51
2km 3’25
3km 3’05
4km 3’02
5km 2’51(15’16)
6km 2’52
7km 2’53
8km 3’05
9km 3’03
10km 2’49(29’59)
11km 2’54
12km 3’02
13km 3’01
14km 3’00
15km 3’36
16km 3’07
17km 2’13(やや短いか)

アンカーの選手にタスキを渡した後、チームの総合順位が首位に上がっていることを確認した。

チームは、そのまま首位をキープして総合優勝。

6年ぶりの総合優勝だった。

こうして、「10000m28分台」と、「長野県縦断駅伝優勝」という2つの目標を同時に達成することができた。

「二兎を追う者は一兎をも得ず」という言葉があるが、

二兎を追うものだけが二兎を得ることができるのも事実だと思う。


縦断駅伝が終わった後、慰労会でチームメイトがずっと金メダルを首にかけて、嬉しそうに話している姿を見た。

そんな姿を見て、一生懸命頑張って良かったと思った。

自分の走りが、他の誰かを幸せにすることができたのであれば、こんなに嬉しいことは無い。


11/16 日体大記録会
10000m 28分58秒89

11/17 長野県縦断駅伝
21区17km 50分56秒(区間新記録)
全諏訪チーム総合優勝

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