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懸垂逆上がり

私は、「筋トレ」と言われるトレーニングをほとんどやらない。

それは、設備が無いとか、知識が無いとか、時間が無いという理由もあるかもしれないけれど、誰かに教えてもらおうとしたり、設備も整えようとしたり、時間も作ろうとしていない現状を踏まえると、ただ単に「筋トレ」が必要だと感じていないからだと思う。

ただ、そんな中でも、鉄棒(懸垂逆上がり)だけは日常的にやっている。

私は、決して鉄棒が得意だったわけではない。
むしろ、大の苦手で、できれば鉄棒とは一生無縁でいたいと思っていたくらいだ。

どれだけ嫌いだったかというと・・・

学生時代に、チーム方針として「懸垂逆上がりを最低10回できるようになること」が示されたのだが、逆に懸垂逆上がりができる人たちよりも速く走ることで、懸垂逆上がりの必要性を否定していたくらいだ。

しかし、そんなに嫌いだった懸垂逆上がりを、今では毎日のようにやっている。

そこに、どんな経過があったのかと言うと、

社会人になって8年くらい経ったときに、懸垂逆上がりをやり始めたら、ちょうど5000mの自己ベストが出たのである。

それは偶然だったのかもしれないけれど、もっと懸垂逆上がりができるようになれば、もっと速く走れそうな感覚があった。

そういう感覚があると、「上達」というのは物凄く早い。

トレーニングの効果を感じることが、いかにトレーニングの効率を高めるかを物語っているような気がする。

私はどちらかと言えば、「走るのに必要な筋肉は、走って鍛える」というタイプなのだが、鉄棒(懸垂逆上がり)をやっているときだけは、走るのに必要な筋肉を鍛えている感覚があった。

この感覚がずっと不思議だった。

鉄棒にぶら下がったり、懸垂逆上がりをする動作と、走りの動作は全く別のもののはずだからである。

しかし、あるとき、猿が木の上を縦横無尽に駆け回っているのを見て、ふと思った。

人間は、進化の過程で、「4足歩行」から「2足歩行」になったと言われているけれど、実際には「4足歩行」から「2足歩行」になるまでに、木の上で生活していた期間があったはずである。

その頃は、地上に危険な敵がいたのかもしれない。

私たちの祖先は、木の上で生活をしていたのだ。

木の上を拠点として、木の枝にぶら下がったり、木から木に飛び移ったりして、木の実を取って生活をしていたときというのは、2本の手で移動する技術が長けていたはずだ。

その後、地上に降りてきて「2足歩行」になったのであれば、木の上で培った上肢の使い方が、「2足歩行」に繋がったと思ってもいいだろう。

そう考えれば、鉄棒にぶら下がるトレーニングが、走るときの動作に影響を与えるとしても、不思議ではない。

人間は、進化の過程で、木にぶら下がっていた時代があったはず。

「2足歩行(走る)」に至るまでに、木の枝にぶら下がる過程があったとしたら、鉄棒って走るのにも結構大事なんじゃないかと思う。

あと、できれば雲梯もやりたいけれど、雲梯はどこにも無い・・・

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