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それでも泉佐野市は間違っていた

改正後のふるさと納税制度に参加できないとされていた泉佐野市について、最高裁判所が参加を認めるべきとする判決を出した。私も改正後の制度から泉佐野市を除外した国のやり方はおかしく、最高裁の判決は正しいと思う。

しかし、それでも泉佐野市は間違っていた。

間違いの理由

確かに、改正前のふるさと納税制度においては、返礼額等の規定は強制ではなく、あくまでも国の指導になっていたため、法的には泉佐野市は何も間違ったことはしていない。ではなぜ間違っていたと言えるのか。

それは、単純に泉佐野市の行いは、持続可能なものでなかったからだ。

誰でもわかることだが、泉佐野市のような返礼をすれば、制度そのものの根幹が揺るがされ、そうなれば当然国も法改正をすることになる。だから、あくまでも最初の1、2市町村のみ、しかも長くても2、3年の間だけできる施策なのだ。

泉佐野市は当然そうなることを理解した上で、このような動きをしていた。財政難であることは理解できるが、まったく持続性がなく「自分さえよければ」という考えは「間違っていた」と言わざるを得ないのだ。

問題隠しのふるさと納税

そもそも、ふるさと納税制度、地方の税収アップと寄付した人間の税控除と、誰からも文句を言いにくいよくできた制度である。しかし、この制度は日本の税制の2つの問題点を隠しているようにも思う。国から地方への、権限の移譲が進んでいないこと、また、東京都のみ財政が潤っている点である。

つまり、日本の税制を根本から議論しないといけないところを、とりあえず気休めの制度を準備してお茶を濁しているだけ、とは言い過ぎかもしれないが、長期的な視点では何の解決にもならない制度なのだ。マスメディアも、泉佐野市VS総務省を楽しそうに報じるのではなく、もっと広い視野からふるさと納税制度のそもそもの意味を論じて欲しかった。

500億円を得たからには

いずれにしても、泉佐野市は、500億円を手にしてしまった。この500億円は、本来他の都市が手にしていたはずの税金である。そのことを肝に命じ、手にしたからには素晴らしいまちづくりを見せて欲しい。


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