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「コロナ渦の五輪」だからこそ良いこと

最後まで、何かと叩かれまくっている東京五輪だけど「コロナ禍」であることでいいこともあると思う。

大幅に低下したテロの危険

例えば、テロの危険性。もし、通常のオリンピックが開かれることになっていたならば、国中警戒モードで大変だったと思う。

東京以外の地域でも、ゴミ箱を撤去したり、検問をしたり、いろいろな不自由が起こっていただろう。なによりも、あの「何も起こりませんように」と思う緊張感がなくていいのは救いだと思う。

もちろん、テロの可能性が0というわけではないのだろうけど、通常のオリンピックよりも遥かにその確率は低下しているだろう。

テレビの馬鹿騒ぎがない

そしてもう一つは、テレビが馬鹿騒ぎしていないということである。

普段であれば、五輪開幕半年、3ヶ月、1ヶ月前と、お祭り騒ぎで盛り上げて、テレビは五輪一色になっているところだと思う。ところが、今回は、五輪を批判していた手前もあり、各局抑え気味である。

ちょっと嫌味かもしれないが、これぐらいがちょうどいい。普段のオリンピックが馬鹿騒ぎしすぎなのだ。

だから、今年は、滅多に体験できない静かなオリンピックを存分に楽しむことができるのだ。

もちろんコロナは嫌だけど、「コロナ禍の五輪」だからこそ得られるいいことにも目を向けていきたいものだ。

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