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小津安二郎のとてつもない世界


https://www.youtube.com/watch?v=8J4NRMH_Rt0

 リンクしたユーチューブは小津監督の生誕九十周年を記念して、松竹がつくったもの。六人くらいの世界各国の映画監督に、小津映画の思い出を語ってもらうというドキュメント映画。アキ・カリウスマキ、ポール・シュレイダー、ジム・ジャームッシュ等々で、いずれも面白いのだが、全部紹介するのは大変なので、興味深かったものを二、三、紹介。最初の人は、香港のスタンリーなんとかという映画監督。彼は子供の頃、父親に疎まれていると感じていて、その父親が死んだ時も、涙を流すことなんかなかった。ところが長男だったため、父親の遺体を焼くときに、焼却装置のスイッチを押す役になった。葬式にそんな儀式があるなんて、初めて知って、ちょっと驚いたが、それはともかくとして、その後「東京物語」で、笠智衆と東山千栄子が並んで海岸の堤防の上に座っている場面を見たとき、涙が流れ続けて止まらなかったという。小津さんは私を啓発し、成長されてくれたのです、と言っていた。
 フィンランドのアキ・カウリスマキも出てきた。彼の作品は、「マッチ工場の少女」という作品を見たことがある。映画の冒頭から40分近くセリフが全くなく、兄を尋ねてきた妹に「あいつはまだ家にいるのか?」と言うのが初めてのセリフだったことを覚えている。つまり兄妹の両親は離婚し、二人は母親の元で育ったが、その母親に恋人ができて、その恋人を嫌って家を飛び出した、ということだったと思う。それが「あいつはまだいるのか」という言葉だけでわかるので、すごいなーと思ったことを覚えている。小津に似ているなーとか、そんなことはあまり感じなかったのだが、そのカリウスマキ監督は、兄に誘われて小津映画を見て、作家志望をやめて、映画監督になろうと思ったという。そして「オズさん、私は十一本のくだらない映画をつくってきました。それはオズさん、あなたのせいです。私はあなたのレベルに到達できないことを納得できるまで、映画を作り続けます」と言っていた。いかにもカリウスマキらしい言葉だと思った。私の墓碑銘は「生まれてはみたけれど」にしますとも言っていた。グッドアイデアだ。他にも、ヴィム・ヴェンダースとか、ポール・シュレイダーとか、リンゼイ・アンダーソンとか、いろいろ出てくるけど、最後の台湾の侯孝賢が、小津監督は数学者のようですと言っていたのがなるほどと思った。小津映画はリアルで客観的といったような意味だと思うけれど、実際に、「一人息子」と「父ありき」の、一人息子、父親は、いずれも数学の教師で、黒板に幾何学の図形を描いていた。学校の先生という役柄は、小津映画では、「一人息子」と「父ありき」だけではないかと思うけど、いずれも数学教師だったのは何故なんだろう、と思っていたので、侯孝賢の言葉を聞いて、もしかしたら関係あるのかも、と思ったりした。いずれにせよ、観る人の深層意識に深く食い込んで、そこで、そこで改めて開花する。こんな見方をされる映画って、他にないのではないかと思う。

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