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羽化。我欲と自我。または"きみにおちたひる"。

2021年12月18日。

ざっくり言えば、「ものすごい伏線回収」というやつを見た。

ひとりの少女……女性が、少なくともこの1年を費やして紡いできた物語について、だ。

2020年11月14日、彼女は自身の生誕ライブで、・・・・・・・・・の「いくつかの夜、いくつかのさよなら」を歌唱した後、「歌詞について深読みをしないでください。」と言った。

(この後、ごくパーソナルな挿話が入るのであるが、それはいつかの未来に語ることにして。)

そこで深読みされえたこと というのは、今年5月のRAY2周年記念単独公演で演じられた、瓦割りから始まって音楽聴いたりダンス練習したりパフェ食べたり勉強したりする寸劇や、さらにそのあとのRAY 3rdワンマンライブにおいて、彼女が声を詰まらせながら語った、
「内山結愛を辞めてどっか行っちゃおうかと思った。」
という言葉に象徴される、特にどちらかと言えば2020年の「(マジモンの)緊急事態宣言」下の彼女の思いだったのではないかと思う。

別の機会には「ライブが無いと人の形が保てない。」とも言っていたか。

そう。
この文章は内山結愛の初めてのソロ公演「Y」の感想または記憶について記述している。

では、彼女の2021年はどういう年だったか。
これについては、年初に彼女自身が、「自分がどうなりたいか見極めたい。」と言及している。

彼女が自身の生誕ライブ「Anthology 20160904 - 20211106 - 」のスライドで述べたことを下敷きにすれば、結局彼女は「自分が好きなものについて言及してよいということ」と「それが音楽であるということ」、「だから音楽に真剣に向き合うのだ」ということに辿り着くために、この1年という時間を費やした。ということなのだと思う。

そんなことか と言うなかれ。なのである。
そこにあったのは、誰が呼んだか「セルフブラック企業」でおなじみの内山結愛の「真剣」だ。
しかもその結論に至るまでにたっぷり一年もかけて。
と、ここで一回言っておきたい。

そして。
実はこの一年の彼女の変化について、もうひとつ書き記しておきたいことがある。

ファンへの濃密な愛に定評がある内山結愛さんであるが、この一年さらにそれを隠さなくなった気がするのである。
これも生誕ライブのスライドの中で語られていた「私は鎧をかぶっていた」を引き合いに出せば、彼女はやっと、彼女に内在する、または彼女を取り巻く「愛」を、思うように表現していいのだという結論に(も)辿り着いたのではないか、と思うのである。

この2つの結論が共に至る場所こそが、楽曲としての「Y」であり、その完成形を初めて他者の前で披露する場所であった、ファーストソロライブ「Y」だった。

ライブとしての「Y」にあったのは、つまるところ「自分のために書かれた大切な楽曲を、大好きなミュージシャンたちと一緒に、愛すべきオーディエンスに伝えたい。」という、壮大な「我欲」である。

欲求と自我の関係などは、いまさらここで語るまでもないにせよ。
彼女が獲得した「圧倒的ソロ性」とは、彼女ならではの音楽を通した圧倒的な表現への欲求であった。

かくて彼女は自らのアドレセンス………少女時代(どっちにしてもグループ名に見えるのはご容赦あれ。しかも3つぐらい。)に決着(ケリ)をつけ、大人の表現者としての自我を確立するに至った。

つまり、あの日、あの場所にあったのは彼女の「羽化」だった。
今はまだ嫋やかな翅かもしれないが、内山結愛はあの日、自由に風を舞う蝶になった。

新しい風に煽られて、我々も、もしかしたら彼女自身も思いもしない場所に至ることあるかもしれないけれど、そのことにすらも、または、だからこそ、胸を掻き立てられずにはいられないのだ。

さて。
お気づきの通り、この文章は大変迂遠な公開ラブレターなので、それを「結」ぶ言葉は決まっている。

「愛」すべき内山結愛さんへ。

僕はあの日、"きみにおちた"かもしれません。

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