夜を飛ぶ(3)

点検と整備と補給で、24時間はいつものように経過した。
航空機の整備は「異常を生じさせない」ことが最優先である。
私の身体の構造材に異常が認められた場合、それは空中で私に深刻な事態を発生させ、墜落という形で任務の続行を不可能にさせる。
私の任務継続が不可能になった場合、「中央」で待機している私の同型機……妹が私の任務を引き継ぐことになっている。

そして私には、もう一つ私の妹に任務を引き継ぐ理由があった。
耐久時間の終了。
私の設計上許容されたそれは、16万時間。
「私たち」の「時間」は、この耐久時間と、一つ一つのミッションの開始時間、その達成に必要な中途ミッションのクリアと、帰投までの経過時間によって管理されている。
だから、私たちは年月という概念を持たない。

レイが教えてくれた「明日」という人間の時間の概念で言えば、18年と3ヶ月を経た頃、私の耐久時間は終わる。

そして、私の「17年」めは、「今日」が最後だった。

警戒飛行の途上、私はレイの声を待つ。
予定された飛行時間の1/3を過ぎた頃、それは私のアンテナに捉えられた。

「……ナイト、聞こえる?……」

電波の周波数、通信のプロトコル、復号された音声の波形データを確認し、それをレイの声だと判断してから、私は通信を開く。

ー受信した。こちらはナイトバード・2022だ。

「……よかった!また会えた!」

ー内容が不明瞭だ。

「私はナイトと話がしたかったの!
 だってこの放送に初めて返事をくれた人だもん。」

ー私は人間ではない。

「そんなの問題じゃないよ!だってこうしてまたお話しできてるんだから!
 あのね、今日はね……。」

前回より少し高めの音声周波数のレイは、自分の住んでいる場所の出来事のことを話していた。
私はそれをセンサーと処理装置の隅に置きながら、彼女がさっき話した言葉を反芻する。

"私はナイトと話したかった"

レイに初めて通信を送ったとき、私が認識した、自分自身の説明不可能な思考を思い出す。
そうだ。私も、「声」と……。

ー私も、レイと話がしたかった。

「……え?急にどうしたの?」

ーさっき君が言ったことについて思考していた。私が君に通信を送った時のことを思い出した。
 ただ、私には思考の理由が説明できない。

レイは少しの間沈黙する。
その後送られてきた音声の波長は、少しだけ低かった。

「……あのね。
 たぶん、それは思考じゃないんだよ。」

ー思考ではない?

「それは、興味とか、関心とか、希望とか言うんだと思う。」

ーどれも私のプログラムにない単語だ。

「興味はね、これは何だろう?と思うこと。」

ー警戒か。

「ナイトにとってはそうなっちゃうかー。
 でも君は私に警戒していないでしょ?」

ーしていない。

「素直でよろしい。
 次に、関心は、その興味が強くなること、かな。」

ー高脅威認定か。

「……難しくてわかんない。次行くね。
 希望は、こうありたい、と思うこと。」

ーわからない。作戦目的のことだろうか。

「うん。だからね。
 ナイトはさっき「思考」って言ったけど。
 きっとそれはね、感情っていうの。」

ー感情?

「うれしいなー、とか、かなしいなー、とか、むかつくなー、とか、そういうの。
 思考では説明できないもの。
 ナイトはきっと、私と話ができたら嬉しいな、と思ったの。」

ーわからない言葉ばかりだ。

「そうだね。わからなくていいんだよ。
 ナイトの感情は、まだ産まれたばかりだから。
 バブちゃんだね!あはは!」

ーそれだ。

「え?」

ーレイが発する「あはは」という笑い声の法則性が、私にはわからない。君はなぜ「笑う」んだ?

私の問いかけに、レイは即答する。

「楽しいから。ナイトと話すの。」

ー楽しいとは。

「感情のひとつだよ。
 うーん難しいな。
 こうしていたら気持ちが良いな、とか……、
 好奇心が満たされるな、とか……、
 ずっとこうしていたいな、とか、そう思うこと?かな……。」

音声の波形が不規則に揺らぐ。

「あ、そうだ。
 私は歌を歌ってる時とか、楽しいよ。」

ー歌?

「うん。歌。こういうの。」

ーー夜の深みの彼方で 揺れて触れて消えたドラマ
赤い月の裏側で 知らない歌を知らないままで歌ってるーー

ーそれが、歌。

「そうだよ。ナイトが私を「赤い月の城の君」と呼んだのを思い出して歌ったの。」

ー周波数や音の長さが一定でないから、認識が難しい。

「ロマンチックじゃないなあ。しょうがないか……。」

ーでも、この波長の形は、やわらかくて、暖かくて、明るい。

「……急にロマンチックになった。
 すごいねナイト!そんなふうに感じるんだ!歌を!」

レイの声の周波数がまた高くなる。
「嬉しい」という「感情」によるものということだろうか。

ー私は君の言葉を文字列にして認識し、同時に波長を見ている。私にはそう見えた。

「そうだ。そうだったね。
 ナイトは歌も見ることができるんだ。
 何だかダンスみたい!」

ーダンス?

「うん。こうやってね、音楽に合わせて体を動かすの!
 あ。声だけじゃ見えないか。ナイトには私の声が見えるのに。
 ……えーと。手を振ったり、ステップを踏んだり、ターンしたり!」

レイの声の周波数がまた高くなると同時に、固いものを叩くようなコツコツという音と、音源とセンサーの位置関係が細かく変化するような揺らぎが混ざる。

ー「楽しい」んだな、レイは。

「うん楽しい!
 あ!わかったみたいだね!「楽しい」っていうこと!」

ーレイの楽しいは少し理解できたようだ。

「うんうん!」

ーしかし……

言葉を継ごうとした時、帰投時間を示すシグナルが発振する。

ー帰投時間だ。

「ねえバード、今何を言おうとしたの?」

ー通信を切断する。

所定の帰投シークエンスを行うには、もう時間がなかった。
答えなかった言葉の続きを、メモリの中で転がす。
……私には、私の「楽しい」がわからない。
しかし、そのフライトの帰路と、保守のための電源切断までの間。
レイの言葉を反芻する私の処理装置は、いつもより高い熱を帯びていた。

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