夜を飛ぶ(2)

それから私は自分のシステムに一つのプログラムを組んだ。
もともと備えていたデータリンク用の送受信プログラムを流用して、テキストデータを流し込んで音声データに変換して発信する。
声が使っている周波数帯と同じなら、きっと届くはずだ。

何かに言葉を伝えるのは初めてだけれど、書く言葉は決まっていた。
「拝啓、赤い月の城の君へ。」

私はそれを空に投げた。
だってあの日は、月が赤く見えたのだ。

何度かの警戒飛行の途上、私はその言葉を何回か空に投げたが、通信が返ってくることはなかった。
声は以前と同じように取り止めのないことを話し、私は呟くように同じ言葉を返すことが警戒飛行の日課のようになった。

そんなことが続いて、私の記録が15万7000時間を少し過ぎた頃。
声の言葉に少しの違和感があった。
「……そうだ。たぶんわたしのことを「赤い月の城の君」と呼ぶあなた、聞こえますか?」

ー聞こえる。

それが私に対する問いかけだと言うことを認識するより先に、私はそう答えていた。

「あはは。びっくりした。
 電波が微弱だから拾うのに時間かかっちゃって。やっぱりあれは私のことを呼んでいたんだね。」

ーそちらと同じ周波数で返しているのだから、受信できるはずだ。

「うーん。アップリンクは周波数が違うから。周波数帯と出力から言えば、こうやって拾えてるのも奇跡なんだよ?
 今アップ側の周波数教えるから、こっちに合わせて?できるよね?」

ー了解した。

声の言うことに従い、送信の周波数を調整する。

ーこれでどうだろうか。

「ああ、きこえるきこえる!ちゃんときこえるよ!はじめまして。私の名前はレイ。あなたは?」

ーこちらはナイトバード2022だ。

「な、ナイトバード?
 かっこいいけど変わった名前だね。本名?」

ー私に他に名前はない。

「ふーん。長いからナイトって呼んでいい?」

ーそれでは個体識別ができない。

「難しいこと言うね。ちょっとわかんないや。
 ……ナイトは声は可愛いのに言葉がちょっと難しいな。女の子だよね?」

ー他の個体と人間の言葉で話すのは初めてだ。

「そうなの?すごい!」

ー声は……ライブラリにあった合成音声で、なるべく君の声の波形に似たものを選んだ。
 それから、思考パターンは女性型に設定されているそうだ。

「合成音声?波形?思考パターン?
 そうだ。って、自分のことなのに。」

ー返信の意図が不明瞭だ。

「変なの。私をからかっているの?」

ー君の言葉がわからない。

「そうか。人と話すのははじめて、って言ってたもんね。ナイトはどんな人なの?」

ー私は兵器だ。

「えっ……。」

声……レイの通信には、ときどき不明瞭な言語のノイズが乗る。
それは私がこれまで受信してきた単純なデータには存在しないものだった。

「……わかんないけど、兵士ってこと?」

ー違う。兵器だ。

「えーちょっと待って。ナイトは人じゃないの?AIってこと?どうやって私の話聞いてるの?」

ー人ではなくAIという認識で正しい。私に音声センサーは備わっていないから、君の声は文字列に変換して認識し、同時に波形を見ている。

「そうなんだ!すごい!私AIと話ししてる!!」

ーそちらは人間か?

「いまさらそれ聞く?人間だよ。女の子。」

ー静止軌道上に人間は存在できない。

一瞬の間があった後、通信の向こうで、レイは一際不明瞭なノイズを立てた。音声の周波数が上がり、声の波形が乱れる。
不明瞭さを指摘する私に、彼女はそれが「笑い声」だと教えてくれた。

それから、レイは自分自身のことを話した。
彼女は私が飛行している地点から5,000キロほど離れた地点にいること、彼女が住んでいる地域にはさほど多くないものの人間が存在すること、放棄された放送衛星を、やはり放棄された基地局からハッキングして、誰が聞くともない放送をしていたこと。

そして。
「ねえ、ナイトはどこにいるの?」

ひとしきり自分のことを話し終わったレイは、私にそう問うた。
私は答える。

ー正確な座標を示すことはできない。
 先ほどの話から、約5000キロ離れていることがわかった。

「そっかー。たぶん「禁域」かー。」

ー禁域とは?

「私が生まれるよりずっと前だから、私もよく知らないけれど、地球は三分の一ぐらいダメになっちゃってるんだよ。
 ……ナイトはそこにずっと1人でいたんだね……。」

レイの音声にはまた私にはわからないノイズ……少し音程が低くなって、何かが詰まったような……が載っていたが、私はそれを些細なことだと考え、会話に取り上げなかった。

ーまもなく飛行時間が終了する。

「そうか。帰らなくちゃいけないんだね。
 また話せるかな?」

ー通信手段は記憶した。

「いつ?」

ー次の警戒飛行は24時間後だ。よ。

私は少しだけレイの口調を真似てみた。

「わかった。じゃあ明日また待ってるね。
 楽しかった。ありがとう。」

ー了解した。

私は通信を切断し、帰投信号を送り、大きくバンクを打って補給基地を目指した。
レイが最後に伝えてきた言葉の羅列は私にとって理解できない言葉ばかりだったが、彼女が24時間後に再度私との通信を求めていることは理解できた。
明日とは。楽しいとは。ありがとう。とは。

なによりも、彼女の言葉に時々混入する主に高周波のノイズは何なのだろうか。
文字化すると「あははは」や「うふふふ」のようになる、あのノイズは。
私はそれを知りたいと思ったが、私と補給拠点のデータベースに「明日」という言葉は存在したが、それは単に24時間後を指す概念としか、私には理解できなかった。

ただ、24時間後の飛行までが、これまで以上に退屈な時間のように感じられた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?