夜を飛ぶ(4)

前回のフライトから12時間後。
起動と共に過去の記録をチェックする"わたし"の処理装置は、やはりいつもより少しだけ高い熱を帯びていた。
レイの言葉にはわたしが知るべきことがたくさんある気がしているのだが、わたしの辞書にはそれを読み解く言葉が足りていない。

だって、わたしには、感情が。
楽しい、が、わからない。

……けれど。
レイが楽しそうな時、レイの声の波形がどうなるかは、わかっている。

そうした思考を繰り返す中。
中央からの短い通信が届く。
その内容はこうだった。

通常の飛行データではあり得ない処理装置の負荷と、それに伴う温度上昇が感知されたこと。
わたしの記憶装置に逼迫が見られること。
これらを中央はわたしの経年によるトラブルと判断し、わたしの廃棄を決定したこと。

わたしに残された時間は、わたしの任務を引き継ぐ妹……同型機が、最終チェックを終えてこの補給拠点に到着するまでの120時間であること。

……つまり。
人間の、レイの時間で言うとまだ3か月あったわたしの時間は、たった5日後に終わりを迎える。

処理すべき情報量が跳ね上がり、処理装置の中の思考に無数のスレッドが割り込む。
まるで、かつて「わたしたち」がシミュレーションの上で経験した、敵性勢力のジャミングを受けた時のように、わたしの思考は混乱し、熱を帯びる。

何らかの理由による廃棄、または機能停止は、あらかじめ「わたしたち」に定められた終わりだった。
兵器として、または機械として、その機能を従前に果たせなくなった時、またはそう判断された時。
わたしの記録と思考は、終わるのだ。

その予め定められた事実とは別に、わたしの熱を帯びた思考は、もう一つの結論に辿り着く。
120時間が経過し、最後の警戒飛行を終えた後。
……わたしは、もうレイと話をすることができない。

処理装置に帯びた熱が止むことはなく、わたしはその熱を抱えたまま、警戒飛行の時間を迎える。

タキシング、

滑走、

テイクオフ。

わたしたちは夜を飛ぶように作られた。
飛行のために必要なタスクは高い優先順位を与えられており、倦むような思考は処理装置の隅に追いやられた。
それでもやや処理装置の負荷はやや高い状態のままであったが、何も起こらない退屈な警戒飛行は、"18年目"最初の夜も変わらなかった。

「……ナイト、聞こえる?」

昨日と同じように、レイはわたしに呼びかける。
応答を返そうとして、わたしは逡巡する。
わたしはレイに何を話せばいいのだろう。
昨日言いかけた言葉の続きか、わたしの機能が5日後に停止するということについてか。
あるいは……。

「まあいいか。
 ナイトは時間に正確だから、きっと私の声が聞こえているよね。
 ……あれ?声を見てるんだっけ?
 どっちにしても、この言葉は伝わってると信じて、勝手に話し始めるね。」

レイはわたしの返答を待たず、自分の言葉を紡ぎ始める。

「えーと、何を話そうかな。
 前にも話したかもしれないけれど、今夜は私が住んでいるところの事を、少し詳しく話します。
 と言ってもナイトが飛んでいられる間だけだから、あまりたくさんは話せないけれど。
 私が住んでいるところは、大陸のはずれの、とても暖かいところ。
 緑がたくさんあって、太陽や風の力で電気を作って、水を汲み上げたり浄化したりして、あまり多くはない人が暮らしています。
 この街は昔たくさんの人が住む都市だったそうだけど、"禁域"をつくった争いは、ここにも被害を及ぼして、ここに暮らしていた人の多くは逃げてしまったんだって。
 でも、私のおじいさんやおばあさんたちが、たくさんの木々や、草花を植えたから、その毒は食い止められて、今は私がおばあさんになるまでここで暮らせるようになったんだって。
 ボロボロになった建物の上にも緑が生い茂っているから、きっとこの都市を作った人たちには不思議な風景だと思う。
 で、私はこの町にあった放送局を乗っ取って、夜だけ会ったことがない誰かに通信を送っていたの。
 電気はみんなの暮らしに大切だから、ほんとは悪いことなんだけど、夜は電気が少し余るみたいだから、いいかな、と思って。えへへ。」

レイはそこで少し黙り込む。
次に話し始めた彼女の声の周波数は、少し低かった。

「ねえナイト、私も昨日の夜、あなたと話し終わってから、いろんなことを思ったよ。
 たぶん、ナイトは今、戸惑っていると思う。
 ……私は昨日、ナイトに生まれたばかりの「感情」を、勝手に指摘して暴き立ててしまった。
 もしもそれで困ってしまっていたらごめんなさい。
 でもね、私、嬉しかったんだ。
 こんな小さな私の声を聞いてくれて、それに答えてくれる人がいて。」

戸惑っている、や、困る、と言う言葉はわたしの辞書には存在しなかったが、わたしの出口がない思考を「感情」として表す言葉なのだと推測した。
そしてレイが、わたしと出会ったことを「嬉しい」と言う感情で捉えたと言うことも、同じように理解ができた。
そして、「嬉しい」と言う感情は、人間にとって心地よいものであると言うことは、私はレイの言葉から認識している。

つまりレイは、わたしと通信で話すことが心地よい、と言っている。

なのにレイの音声の波長は、少し低い周波数を刻んでいた。
これまで、彼女の音声は、「嬉しい」時には周波数が高くなっていたのだが。

ーわからない。

「ナイト!答えてくれたの?」

ーわからないんだ。レイ。
 君は嬉しいことについて話しているのに、君の声は嬉しい時の波形をしていなかった。

「それは……。
 わたしが君を傷つけて、嫌われたんじゃないかと思って……。」

レイがわたしに損傷を負わせ、わたしがレイを脅威認定した?

ーわからない。
 君にその手段はないし、その事実はない。
 それに、わたしに付与された任務は、116時間25分30秒後に終了する。
 もうわたしは、新しい脅威を認定する必要がない。

「そうなの?」

ー中央が、わたしの廃棄を決定した。
 わたしの「妹」が到着し、任務時間が終了したら、もうわたしは空を飛ぶことがないし、君の声を"聞く"こともできない。

わたしはどう伝えたらいいか考えていた事実をそのまま告げ、レイはまた沈黙した。
そして。

「鈍いなあ。ナイトは。」

ーわたしの反応と判断の速度は人間より早い。

少し遅れて、レイが高い声で笑う。

「そうじゃなくて!
 さっき私が話してたことはね。
 全部やめちゃって、私のところにおいで、ってことなの!」

わたしは混乱した。
レイの言葉はわからないことばかりだったが、この言葉は理解する手がかりがみつけられない。
思考スレッドが制限されているからではなく、レイの言葉はわたしの思考では到達できないほど、跳躍していた。

わたしの沈黙の理由を見透かしたように、レイは言葉をつなぐ。

「あのね、ナイト。
 ナイトは人間を守るために、他の存在を傷つける武器を持って戦うように作られたんだと思う。
 でもね、ナイトが今飛んでいる空の下……"禁域"に、守るべき人間はいないんだよ。ナイトが作られる前から、そこに人間は住めないもの。
 だからナイトの"任務"は、初めから存在しなかったんだよ。」

わたしは人間を光学センサーで観測したことがない。
また、この18年間、人間以外の脅威についても、わたしは各種のセンサーにとらえたことがなかった。
わたしには、わたしの記録が始まった時から、任務が存在しなかった。
その言葉は、わたしが観測し、記録した事実や、わたしの推論と、ぴったりと符合するものだった。

「それからね。
 私はナイトに生まれた"感情"とか、"心"とか"自我"というものを、大切にしたいと思っているんだ。
 ナイトはきっと私よりずっと大きくて強いけど、心はまだ生まれたてだから。
 空は飛ばせてあげられなくても、ナイトのAIを動かしているのは電気だから、私が何とかしてあげられると思う。
 そうだ!私が使っているこのマイクをナイトにつけられたら、私の声も聞かせてあげられるかもしれない!
 いっぱい話して、できたら私と同じ景色をたくさん見せてあげて、それから……。」

ー歌も?

「そう!いっぱい歌う!一緒に新しい歌を作ろう!!」

ーそれらがわたしの新しい任務、ということだろうか?

「うーん……それは違うかもしれない。
 ナイトはもう自由なの。自分のために生きていいの。
 なんだろう?目的じゃなくて……。そうだ、理由!」

ー理由?

「そう!ナイトの生まれた理由!生きる理由!!
 ナイトは楽しいことをいっぱい見つけるんだよ!」

レイの声は、これまで見たことがないほど、レイが「楽しい」時の波形を刻んでいた。

ーわたしは生命体ではない。
 それでも、わたしは思考を続けていい、の?

混乱した思考が、わたしの言葉にノイズを乗せる。
それはまるでレイの話す言葉のようだった。

「いいに決まってる!
 あのねナイト、命がどこに宿っていて、何を生きていると呼ぶのかは、私にもわからないけれど。
 命はきっと、記憶や思考や心にも宿っていると、私は思うよ。
 だから、ナイトはもう命なんだよ。
 本当は誰かに誰かがこう言うのはおかしいけれど、ナイトは絶対、生きていい!」

レイの音声の波形は、また見たことがない形に変化する。
でも、その波形は、やはり暖かくて、優しかった。

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