人は善くなる

 大学院では教育学と宗教学を専攻していた僕だが、大学で臨床心理学を専攻していたので、精神医学の講義にも参加していた。その時の教授の一人が臨床心理士だったのだが、その教授の信念が強かった。

 「私は宗教を信仰していない。神も信じていない。だが一つだけ信仰にも似た信念を持っている。それは、人は必ず善くなるということだ」

 実際に大学カウンセリングルームの室長として長年、学生の悩みを聞き続けてきた教授の言葉の重みは違った。だが、僕は信じられなかった。当時、僕は心身ともに健康だったが、知識や理論ばかりに偏った偏屈な人間だった。だから、精神病は絶対に快復しないという一部の事例を取り上げ、その教授の信念を小馬鹿にしていた。

 月日が経ち、僕は躁うつ病を患い、そして入退院を繰り返した。

 一番つらかったのは眠れないことだ。実際は眠れているから生きているのだが、不眠症の問題はそこではない。「眠れた感じがしない」つまり熟睡感がないというのが問題だった。ベッドに入ってもうんうん唸り、起きてはうろうろし、深夜番組をうだうだ見て、またベッドに戻ってうんうん唸る。

 とてもつらい。だから酒に走った。
 酒はとても素晴らしいものだと思った。眠れないという不安がドロドロと「溶けていく」ようだと感じた。不眠症患者が眠れない理由の一つに「また眠れないのではないか」という不安感がある。その不安感を無理やり塗りつぶしてくれる酒はまるで天使の甘露であった。
 最初は缶ビールだったのが日本酒に変わり、そしてウィスキーになった。段々とアルコールに対する耐性がついた、と言うよりもタガが外れた、のでガンガン飲んだ。最終的に僕はウィスキーを一瓶丸々飲まなければ眠気のネの字もやってこないようになった。

 痩せていった。
 僕の身長はちょうど169cmである。
 昔から空手や柔道をやってきたので、学生時代の頃は筋骨隆々、ちゃんと腹筋もバキバキに割れて自分で言うのもアレだがいい身体をしていた。
 その筋肉がどんどんしぼんでいった。
 体重63kg、体脂肪率7%の身体がみるみる痩せ細り、一番痩せた時期で体重は48kgまで落ち込んだ。そのくせ、体脂肪率は15%を超えるのだ。

 体は倦怠感で酷い。階段の上り下りがどれほど地獄だっただろうか。
 実家の僕の部屋は2階にあるのだが、1階にあるトイレに行くのが酷く疲れて、ペットボトルに小便をしたのも一度や二度ではない。それほど、僕は疲れていた。

 案の定、入院することになった。
 不思議と酒を飲みたいとか、飲まなくちゃ不安ということはなかった。むしろ何か「飲まなくてもいい」という安心感がそこにあった。
 古い閉鎖病棟は鉄格子などで窓を覆っているが、あれはもちろん患者の脱走防止という意味合いの他に「社会から患者を保護している」という側面もある。決して「隔離」だけではない。僕の入院していた病院は新しい病棟だったので強化アクリルの窓で閉塞感は無かったが、それでもその窓が何か頼もしいと思ったことがある。

 退院して僕はウィスキーの前に正座した。
 まじまじと眺めた。
 やはり不安感は訪れない。

 なぜ
 どうして
 いつから
 それはわからない。だが僕は「善くなった」。
 その時に初めて、教授の「人間は必ず善くなる」という言葉を思い出したのだった。自分自身で体験してしまった。なかなか、いい体験だった。

 幸い、僕はアルコール依存症ではなかったため、現在でもチビリと酒を飲むことがある。たまに吐くこともある。

 だがそれでも酒で寝ようとすることは無くなり、精神病と直に向き合えるようになっている。

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