学歴と環境の話

 みなさんご存知「IQ(知能指数)」という概念があります。ここで言う知性は乱暴に言えば「問題を解決する能力」を指すので、例えば様々な知識を問われる大学入試においては必ずしも高IQ者が高得点を出すとは限りません。(「なんでもは知らないわよ。知ってることだけ」という小説の有名な台詞はかなり的を射ています。高IQ者でも知らないものは知らないのです)
 しかし高いIQを持つ方は物覚えが良く、少ない情報量で推理して正解に辿り着く能力に長けているので、基本的にIQと学歴は比例しています。

 日本人の平均IQは100と言われております。二人に一人がIQ100です。学歴で当てはめるならば偏差値50くらいの大学に入学できる指標でしょうか。努力して60くらいでしょう。
 IQ120以上になると努力すれば東京大学や医学部に入学できるほどの秀才レベルです。

 ではIQ120以上の秀才はこの世の中にどのくらいいるのか。
 5%くらいです。
 100人に5人くらいはIQ120の人材です。
 意外に多いですね。

 しかし、東京大学入学者および医学部入学者はそんなに多くないし、極端な飽和をしてもいない。なぜなら東大や医学部はIQ120を超える人間がしのぎを削って努力して努力して入るレベルの難易度なのですから。

 閑話休題。
 東京大学に入学した学生の内、学生が子どものころにした習い事で一番多かったものはなーんだ?
 正解、ピアノ。(約40%以上:テレビ調べ)

 もちろんこれを読んでいる方で「そうか!ピアノを習わせれば東大に入学できるのか!」と思う方はいませんよね。
 そうです。要するに「ピアノを習わせられるだけ『家庭に余力がある』人間」が東大に合格している訳です。僕もピアノを習っていたのでよくわかります。最低限、家庭にピアノを置ける家でなくてはいけません。グランドピアノとはいかなくとも、アップライトピアノでさえ一軒家じゃなくちゃ置けない。もし置ける賃貸ならタワマンレベルの超高級住宅です。

 IQ120以上で、ピアノを習わせて家でも弾けるだけの環境が揃っていて、そういう家庭は予備校費や塾などにもお金を存分にかけることができ、私立の小中高にも通わせられる。

 ぶっちゃけ、IQ120は前提で、いくら能力があってもそれを開花させるための「環境」がなくては高学歴もへったくれもないのです。

 僕は病院の心理士として嫌というほど「環境」が無かった人を見てきました。IQ140もある方が親の強制で家業を継ぐことになり、高校に行けなかった。家のため高卒でブラック企業に勤めて馬車馬の如く働き毎日「使えない」「頭悪い」「要領よくしろ」と蔑まれてきた方がIQ130もあった。彼らは環境のためにその能力を圧し潰されていた。高学歴が幸福とは思いませんが、彼らは医者、弁護士、官僚、様々なハイクラスと呼ばれる職業に就ける可能性があった。そんな彼らを「努力不足」と言えるでしょうか。ましてや「自己責任」と切り捨てられるだろうか。

 このお話は「環境が恵まれている人間が羨ましいムキー!」という話では無く、「偶然にも高いIQで生まれ、偶然にも良い環境で育って高学歴や地位を手に入れた方は自分の力だけでは無く、周囲の厚い手助けの下で育った事を決して忘れないでほしい」というお話です。

 「やればできる」という言葉は、高IQ者の人がよく言います。なぜなら自分はやればできてきたからです。しかしそれは本当に自分の力「のみ」でやってきたことですか?予備校費は?塾代は?問題集や参考書は誰に買ってもらったの?競争相手もおらずに独りだけでがんばれた?通った高校の校風がヤンキーばかりだったら勉強できた?進学校と呼ばれる高校がある地域に住めていた?いつでも欲しい情報が手に入る環境に身を置けていた?

 要はそれに感謝しなくちゃならん、という話です。

 「やればできる」は実はできていない。
 「やれば(周囲の環境が応援してくれて)できた」が正解です。

 これから受験シーズンです。あなたの能力を生かしてくれたのは誰のおかげだったのか、あるいはなんのおかげだったのか、思い返してみるといいかも知れませんね。人は自分の欲求だけより「誰かのため」であることで意外に力が出るものです。応援してくれた人や環境に応えようとすれば、もしかすると今以上に力が湧いてくるかも知れませんよ。


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