「ごまかしてる」という正直さ。仮面ライダー555 パラダイス・リゲインド を見て ※ネタバレ注意

井上敏樹先生という脚本家がいる。
現在30代半ばの私は幼少期に見た「鳥人戦隊ジェットマン」で
オタクマインドを刷り込まれたといっても過言ではなく
その後の私のオタク人生を定めた人間として愛しながら、恨みながら、心酔している。

じゃあなんで僕は彼のことがこんなに好きなんだろう、ということを掘り下げてみると、
戯画的なキャラクター造形の裏に、一人の人が表現することと、心で思っていることは必ずしも一致しない
(が、それは必ずしも悪いことではない)という
人間に対する優しいまなざしが見えてくることなんだろうなと思っている。

というのが自己紹介で、私が最も入れ込んでいる(た)仮面ライダーであるところの
仮面ライダー555、その続編である仮面ライダー555パラダイス・リゲインドを見た結果、
いてもたってもいられずnoteを書いてみたくなったという次第なのです。

以下本編のネタバレが含まれます。

最初に全体の感想として、
おおむねよしだが、ファンムービーの域を出なかった、
というのが正直なところだ。

555ファンの私の心は当然、
・ラスト近く、スマートブレインのロゴが頭に浮かんだ草加ロイド(文字でもおもしろい)
・ラーメン屋にいる高岩さん
・啓太郎の甥っ子から投げ入れられるファイズギアボックス
・神経のように広がる新型ギアたちのフォトンブラッド
のような、「どうぞ、ここで喜んでください」
というメッセージに、心のヘイポーの「アラ」が止まらなくなるわけで、
「オルフェノク同士のセックスでは、心臓に刺す触手を絡ませる」といったアイディアは映像的にも面白かったのだが、
一歩引いてみると、単体の映画としては凡だったかな、と感じる。

というのも、私はある作品の「続編」に対して
どうしても「前作から一歩進んだ物語」を期待してしまうのだが
この作品からは
「555の作り手としては、もう語りつくしているのだから、作品のメッセージも結論も変わりようがない」
「そうであれば、墓から掘り出した555の死体をきれいに見せてあげるよ」
という作り手からのメッセージを勝手に電波受信してしまったからなのだ。

「オルフェノクと人間には大きな違いはないし、それぞれの人次第」
という大枠や、「真理は表面的な態度とは裏腹にオルフェノクに恐怖を感じている」という流れもテレビ版で語られたことがあるものだし
それに対する結論も大差ない。
テレビ版の副読本を読まされたかのような視聴感であった。
そのあたりが、555が好きであれば好きであるほど、
特に555で語られていた物語に思春期に感銘を受けた人間であるほど
肩透かしを食らった気分になるのではないか。

とはいえ、虚無のような作品だったかというと決してそんなことはなく
20年がたって大人になった巧や真理が、
大人として現実と向き合う様を提示してくれたことはとても嬉しい。
特に印象に残ったのが表題にもした巧の
「ごまかしてんだよ」というセリフの正直さ、そして正しさだ。

仮面ライダー555のテーマの一つに差別や偏見がある。

人間はその属性を持って人間の内心までも決めつけようとする
というのが555のメッセージの一つで
・ 一見チャラそうでいて、善性を持っている巧、
・ 一見誠実そうでいて、自分を持っておらず流されるままの木場
を筆頭に、誰もが見た目とそぐわない内面を持っていて
それがコミュニケーションの妨げになったり、相互理解を阻んだりする。
それはまた、人間とオルフェノクという種族を超えても同じことなのだ。と語りかけてくる。
視聴者にも「一見」の部分を刷り込むため(だと思う)に巧を免停にさせたりしていた。

そして差別や偏見、また世界での人種対立は現在、おそらく555放送当時よりも、
まったく大きな語る力をもって私たちの前に立っている。
当時先進的に差別を扱えていた555は、井上先生は、今何を語るのか、
それは私にとって大きな関心ごとだった。

リゲインドの劇中、巧は真理にこのような趣旨のことを言っていた
(映像で見たのみなのでうろ覚えかもです)

「人間とオルフェノクがどのように折り合いをつけていくかには結論がない、
しかし、折り合いをつけていこうとし続けることが答えなのだ」

井上先生は番組の関連情報から引用してくることも多く、
テレビ版のプロットが、主題歌「justiΦ's」の影響で変化したのは有名な逸話だと思う。
上の巧の発言も「信じること 疑うこと ジレンマはきりがない」という歌詞の援用にも思えるが、
しかしながら現状の相互理解に対する結論として、「人と人は分かり合えるのだ」と簡単に言ってしまうことすら不義理に感じるというこのセリフは、
まさに誠実な言葉として私に響いた。

一方で、この主張には中身はない。
それぞれの善性に期待するというのみで、各個人ができることは何もない
と言っているに等しい。
だから真理は「ごまかしているでしょ」と指摘するし、
それに自覚的だからこそ「ごまかしてんだよ」と返答する。
この会話が素敵だ。

人間誰だって、色々なことをごまかしながら生きてる。
自分の中の善い心を失わない限り、それでいいじゃないか。
テレビ版最終回の土手に寝転がる巧、真理、啓太郎の姿は
同じことを語っていたようにも思える。
それをちゃんと「ごまかしている」と正直に言葉にしてくれたこと、
そしてその「ごまかし」を肯定する優しさを20年後の巧がみせてくれたことが、私はとても嬉しかったのだと思う。


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