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霊たちとの経験

先日、突然腑に落ちた。

「霊」と呼ばれる人達との間で経験してきた感情や、感じたエネルギー達は。
私の容姿や才能など、この肉体では体験できない感情やエネルギーを感じる為に必要だったのだなと。

沢山のことを経験したい!と設定して生まれてきた私は。
とても平凡な顔で、印象も薄く、人々の記憶に残りにくい肉体を持って生まれてきた。

人間関係で、憎悪に近いほどの嫉妬を向けられたこともないし、怨みとか殺意のエネルギーを感じることもなかった。

私の周りには、美しい容姿の友達が多く。
その人が経験する現実を聞くと、なんとドラマチックな展開なのだとびっくりしていた。
常に、嫉妬や憎悪にも似たエネルギーにさらされて。
彼女達が発する言葉は、そんなエネルギーによって捻じ曲げられていく。

孤独を感じやすい環境で、過ごしてきたのだろうなぁと思う。

私は、人間関係であまり苦労をしてこなかった。
ザ日本人の顔の私では、友達のような経験はどうしてもできないのだ。

なんとなく、壮絶な事は経験しなくていいじゃんと思ってしまうのだが。
それすら経験する!と決めてきた私がこの肉体で感じる為に選んだのは。「霊」と呼ばれる人達との人間関係だったのだと腑に落ちたのだ。

私が生きているだけで妬ましいと視線を送ってくる「霊」
ものすごい殺意を向けて、毎日私に殴りかかってくる「霊」
仕事中に、ずっと後ろから引っ張り邪魔をしてくる「霊」

話しても、誰も信じてくれない世界で。
思い当たる事が全くないのに、勝手に嫉妬されている気分だし、通り魔のように、突然の殺意を向けられて怖いし、私だけが標的にされて常にいじめられているような気分だった。

誰にも、共感してもらえない世界。
私も、常に孤独と向き合っていた。

人間の感覚は、本当に優れている。
どの方向から声をかけられているのか、感覚でわかるし、
人の気配を感じ、どれくらいの距離にいるのか、ちゃんとキャッチしている。

普通の人は、生きている人にしかセンサーが反応しない設定なのに。
壊れてるんじゃない?と疑う、反応の良すぎる自動ドアのように。私の感覚は、ちょっと狂っている。

ここ数年は、「霊」と呼ばれる人達と繋がる事がほぼ無くなった。もう、感じ切ったのかもしれない。
今生きている人のエネルギーに私の興味が移ったからなのかも知れないけれど。

前よりもっと、面白いものが見えるようになった。
これもおそらく共感してもらえないので。
相変わらず、孤独とは向き合っているけれど笑

今、生きている人のエネルギーは凄い。
おばあちゃんが、「生きている人間が一番怖いんだよ」と私によく言っていた。

生きている人の嫉妬や憎悪のエネルギーが、どれほど重いものかを感じるようになってから。(正確には、意識するようになってから)
私もそう思うようになった。

私の出すエネルギーが。
その場に循環している。
普通の人は、見えないのだろうけれど。

私が心を整えて、健やかでいる事がどんなに大切な事か。
エネルギーが見える私は日々痛感している。

黒く重いエネルギーを撒き散らす人が。
心を整えるだけで。
その場の空気がどんなに清々しくなるか。

車の排気ガスや、タバコの煙と同じように。
目に見えれば分かりやすいのになぁ。

孤独と向き合う私は、寂しくなるといつもそんな風に思ってしまう。

黒く重いエネルギーを撒き散らす人も。
感じたいことを、今感じているだけで。
私のように、ただ経験しているだけなのに。

寂しくなると、私の好みに寄り添って欲しくなる。
健やかなエネルギーが好みの私に。

なんだか、寂しいんだ。
そう家族に伝えてみよう。

秋の訪れを、感じているからなのかも知れない。
私の大好きな秋は。
寂しくて、暖かくて、悲しくて、赤い。
(前世の記憶だと思われる。「誕生日」に記載)

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