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小戸妙見神社

昨年、小戸妙見神社を訪れた。
樹木の声が聞ける方がいて、その方の集まりに参加させていただいたのだ。
ちょうど、私の誕生日だった。

その頃、悲しみに打ちひしがれていた。
その前の年に、遠い遠い昔(前世)の記憶(正しくは体感)を思い出した。

私のせいで、大切な人達が亡くなり
私だけが生き残った。
それが今世の誕生日。
忘れないように、その日に生まれてきたのだと思う。

前世を思い出す前から
誕生日の月に入ると、必ず悲しくなっていた。
何の役にも立たないという大きな感情に支配されて、
体調が必ず悪くなる。
歳を重ねる毎にひどくなった。

思い出してからは、体調不良はなくなったのだが。
猛烈な悲しみに襲われていた。

そんな時、樹木の声が聞ける方のイベントを見つけて、参加することにした。

「前世の時よりも、パワーアップしているはずだから。
 前世は乗り越えているし、原因はないんだよ」

そんな風に言ってもらったのだけれど。
悲しみに暮れていたため、腑に落とせなかった。
とても、頑なだったと思う。

メッセージを伝えてもらった後、小戸妙見神社へ参拝した。
神事が行われており、そこへ参加させていただいた。

小戸妙見神社は
2003年に再建された神社だ。

龍神様が「ある方」の夢枕に立たれ
この地に祠があるので,掘り起こすようにと言われ
実際に祠が出てきたという。

偶然にも、その神事に「ある方」が来られていた。
ひと目で分かった。
癒しのエネルギーが凄いのだ。
言霊とは本当なのだと体感した。

発する言葉、所作、全てに癒しのエネルギーが宿っていた。

掘り起こした当時のお話をして下さり、
「そういう啓示を受け取ったならば、大変だろうと
 従う方が楽なのです。
 覚悟を決めて、飛び込んだ方が楽なのです」
と言われた。

その言葉を聞いて、私はひとり泣き崩れていた。

もちろん、周りの人からは不審な目で見られ
大丈夫?情緒不安定?という空気が流れてくる笑

帰り際、その方が
私の両方をポンポンと叩かれ
「大丈夫、大丈夫なんだよ」
そうおっしゃった。

その足で、友達に会いに行った。
その日の出来事を全て話した。

私ひとりを残し、亡くなっていった人達の思いは
決して恨みではない。
表面的には、苦しいとか羨ましいとかそんな風な表現になってしまっていたかも知れないけれど。
あなたは、希望だったのだ。

あなたをこの世に残せたことは
亡くなった人達からすると、唯一の希望の光だったのだと言ってくれた。

啓示を受けていることを、やらなくてもいい。
そう、言ってくれて、その日で一番泣いた。

彼方から受け取るメッセージでも、
大丈夫だという言葉でもなく、
悲しみに寄り添ってくれる人を探していたのだなぁと思った。
悲しみをひとりで抱えきれなかった。

私にとって、
啓示されていることをやるということは、悲しみと向き合うという事を意味していた。

友達は、今でもその悲しみに寄り添い続け
一緒に活動をしてくれる。

啓示と向き合い、活動していくことで
悲しみは少しずつ癒えている

前世の記憶は、私だけのものではない。 あの瞬間の全ての人達の記憶なのだと、最近腑に落ちた。

自分自身を抱きしめ
あなたを抱きしめ
世界を抱きしめ

私達は一緒に癒えていく。

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