きれいなせかい

18歳で家を出た。かつて愛したきれいなせかいを再現したくて、白いベッドとピンクのカーテンで部屋を飾った。きたないものは、全部実家の机やクローゼットに眠らせてきた。14歳で撮ったプリクラも、下手くそな二次創作も、二の腕がいやに締め付けられる安物のTシャツも、置いてきた。詞を書き綴ったノートだけは連れてきた。汚れてしまったせかいのなかで、自分の書く言葉だけが標のように光っていたから。

2年経っても、きれいなせかいは作れなかった。世界には、しわくちゃになった洗濯物と、ラメが溶けだしてぐちゃぐちゃになったアイシャドウと、血で茶色く汚れたバスタオルしかなかった。14歳の夏に汚い言葉で定義された私はまだ、身体も心もぜんぶが汚かった。頭の中で汚い言葉が渦を巻くようになった。エンターテイメントだったきたないことばが、意志を持った言葉に変わった。満杯になった時、溜め込んだそれを両親にぶつけた。間違えたと思った。何倍もの汚い言葉を塗りたくられた。私は、もっと汚くなった。テレビの中の大人より大人になった。きれいなせかいをつくるためには、汚い私を消してしまわなければいけなかった。

命を絶つことはできなかったから、絶望の中で代替案を探した。辿り着いたのは、きれいなせかいの再構築だった。定期的に訪れる人間関係リセット欲に乗っかって、引きずっていた汚い感情をひとつ残らず切り落とした。少しずつ、黒色に塗れた自分が洗われるような心地がしていった。せかいには、フリルのついたワンピースと、カバー力が高いと評判のコンシーラーが登場した。塗りたくられた汚い言葉を上書きしてくれる人たちが登場した。目が見えるようになった私は、人を好きになることができるようになった。消えたいと願う夜が、少なくなった。

帰省すると、決まって祖母が会いに来てくれる。祖母は、私と私の好きな人を綺麗な言葉で定義する。私の服装や髪型を笑わないし、私の好きな人の話を、幸せそうに聞いてくれる。彼女のいる空間は、綺麗だと思う。かつてUFOキャッチャーでとった大量の宝石は棄てられてしまったけれど、彼女のくれる言葉は負けない程の光を放っている。

きれいなせかいは、まだ完成していない。完成させることができるのかどうかも分からない。隙あらば注がれる汚い言葉が、少しずつせかいを蝕むから。私は、その汚さに抗わなければならない。祖母がくれた綺麗な言葉を思い出しながら、春の詞を書き続けなければならない。塗りたくられた汚い言葉を一掃するまで、綺麗な言葉を書き続けなければならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?