天国ユートピア

ひとりで音楽をしていた頃、よく天国について考えた。脳内に構築された天国は、ユートピアだった。私が音楽を始めるきっかけをくれた人の唄が絶えず流れていて、大人になって着るのが恥ずかしくなった水色の甘いワンピースを着ている。チルシスとアマントみたいな見知らぬ精霊なんていないし、横暴に転生先を決める神様もいない。好きなものに、きれいなものに囲まれて、好きな人が天国に来た時は嬉しいだろうかそれとも悲しいだろうかなどと考えながら、半永久的なしあわせに浸かるのだ。
まっさらな天国を好きなもので埋め尽くすのは、小学六年生で海の絵を描いた時の感覚に似ている。白い画用紙に、水をたっぷりと含ませた青い絵の具を落とす。その少し横に黄色い絵の具を落とす。ふたつの色が重なったところに、新しい色がうまれる。好きなものと好きなものの同じところを取り出して、それが私の嗜好として取り出されるから、好きなものを知ることは自分を知ることなのだと思った。私はずっと自分が分からなかったから、頭の中の天国で分かろうとしていたらしい。誰しもの天国がユートピアならいいと思った。もちろん悪事を働いた人間は地獄に行くのだから、天国がユートピアである分にはタダなのだ。
学校の授業で死後の世界を考えさせられた時、スクリーンに映し出された誰かの回答が悲しかったことを覚えている。死後の世界が無であることも、死後の世界に神様がいることも、きっと現世で満たされた生活をしている証拠だから、何も悲しむことはないのだろうけど、悲しいと思った。生き続ける以外の選択肢をとった時に救いがなかったら、いよいよ私たちはどこにもいけなくなるのだと、死んだ心のまま、亡骸みたいなからっぽで生きていくことになるのだと、そんなことを思った。

ユートピアの天国は実在するし、私は頭の中のそれをシェルターとする。月の光がなくとも、大事な人がいなくとも、ユートピアなのだ。

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