部活の話(入る編)

前回にちょっとだけ書いた中2の時の事について書く前に、部活 バスケをやってたことについて書こうと思う。書いてて楽しくなっちゃった。

バスケは小4から始めた。きっかけは兄がバスケをしていたから。(っていうのを知った バスケやってる子が誘ってきた)通っていた小学校のスポーツ少年団には女バスがなかったので、違う小学校に通っていた。毎週水曜日はまた別の小学校の体育館を借りてやってた。そこでも別の小学校の子と交流があったら、後輩になる子達も既にいたし、誘ってきた子を含めた同級生2人と、中学でも3年間部活をすることになる。結論、わたしはそんなに上手くならなかった(笑)

わたしは学生時代、特に気が強かった上にめちゃくちゃ負けず嫌いだったと思う。今もそんな変わらんけど。だから今思えばスポ少入った時から既にちょっと嫌がらせあったんだけど、あんまり気にしなかった。例えば ボール1個1個に番号書いてあって、わたしは○○番!なんていう自分専用のボールみたいなのが勝手なルールで存在してて。あなたは22番ね!って言われたけど、 そのボールは鼻くそ付きだとか前にその番号だった人は不潔だったとか そんないわく付きを押し付けられたけど、普通に違う番号使ってた(笑)まあ みんな自分のボールをカゴから探すのに時間掛かるから、コーチに怒られてこの制度は無くなった。その時は誘ってくれた子とは別に仲いい子がいたから、のちのち部活で一緒になるまであまり交流なかったな。スポ少での思い出はあんまりないけど、他校と試合中 わたしがボール持ってて敵2人に囲まれて、パスをだそうとしたら、左右から鼻にエルボーくらってぶっ倒れたことは印象強い。鼻が弱いわたしは鼻血を大量に出して凄いことになった。監督にお姫様抱っこされてベンチに運ばれたキャ///監督はイケメンだったから嬉しかったですハイ

スポ少では監督とコーチ2人の計3人でした。コーチの1人は、誘ってくれた子の父親でした。この方は割と厳しい方。中学でも娘を追っかけてコーチに来ることになる。そしてのちのち顧問を差し置いて発言権を持つようになる。部活はスタメン組、違う組 に別れて練習するようになってて、コーチ娘(誘ってくれた子)はスタメン組でそっちにつきっきりだったからあまり指導はされなかった。(察して)でもその父コーチからうちの母親何故か怖がられてて(まあ、自分の子どもをひいき目でみてしかも図々しくコーチにまで来てるからその反感を買ってるの分かるんだろうネ)中3の時の試合 絶対わたしなんかが出る場面じゃない試合に、わたしの母親が観に来たのを気づいて、コーチが数分だけ試合に出してくれるっていう面白いエピソードがある(自虐)そしてさらに、普段はわたしに特に指導すること無かったのに、わたしが引っ込んだ後 ひざまずいて熱心に指導をしてくれた(これわたし的にとっても面白かった)ベンチに戻ったら親のコネ乙 とか 親が見に来てるからって出してもらっていいね〜 とか色々言われたけど、わたしはコーチの変わりっぷりがおかしくてそれどころじゃなかった。母親も気づいてて後で2人で笑ったなあ。試合出れたよわたし🤪笑

こんな感じで特にオチがないし、時系列もバラバラになってしまったけれど、わたしのバスケの話。辛かった時のことはまた振り返ろ〜う。終わり。



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