部活の話(中2編)

中2は割と色々あった。クラスのこと部活のこと、あとは淡い片思いのこと\キャー/なかなかなか大変だったけど、振り返れるくらいにはなってるのかな。保証はどこにもないけど(ソリャソウジャ)わたしは過去を振り返ることが割と好きなのかもしれない。日記というのも変な感じ。なんて言うんだろう。イーエスエスイーエーッセ みたいな エッセイ?なんでもいっか。定期購読受付中〜ってか はい。

部活は本当に辛かったな。1年ずつ顧問が変わって、最初はバスケに詳しい人だったのに、2年の時に素人の先生が来た。それでスポ少でもコーチをしていた同級生の父親が主導権を握っちゃったんだな。でも中2の時の顧問の先生は バスケのことを1から勉強して 最終的には審判もそつなく熟すぐらいになったんだよ。勉強熱心な先生だったし、わたしが辛い思いをしているのも気づいてくれて 対応してくれて本当に救われた。顧問になって1年で移動になっちゃったから 寂しかったな。で まあ一応書くけど3年の時の顧問もど素人。ここは酷いくらいバスケにノータッチ。いるだけの顧問 って感じ。話す気にもなれないくらい論外。

先輩達が引退してわたしらの代が1番上になるってくらいの時 もうその時には素人の顧問になってて、コーチがでしゃばってたな。わたしがクラスから浮いた存在だったことを後輩に指摘されたことがきっかけ。正直わたしらの代より、後輩の方がバスケは上手かったし 小学校での関わりもあったから、その時先輩後輩という区別があんまりなくて。後輩が中心となって楽しんでたね。同級生もまじってたけどな。わたしからのパスをわざと弾いたりわたしに対してのパスは豪速球だったり オフェンスファウルだぞってくらいタックルされたり。部活終わりにわたしが部室に戻ると 机蹴って大きな音出して睨みつけてきたり。ご飯やお弁当は当然のように1人だったし カバンを勝手に開けられてテストの結果の成績表を見られるとかもザラだった。携帯のメアドを後輩からしつこく聞かれて嫌すぎて使ってないヤフーアドレスとか教えたけど 今思えば何しようとしてたんだろってくらい怖い。休み時間に廊下で大声で「ゆにみの好きな人は○○〜!」って永遠叫ばれたり。ちなみに全く好きな人ではなくて 勝手に番号教えられてたりしたけどご迷惑すぎたな。″舌打ちしたらわたしは退いてくれる″とかそんなことが広まって 何回舌打ちを聞いたことか…段々やる気もなくなって、クラスでも上手くいかなくて 絶賛反抗期だった自分だけど、抑えきれなくて母親に相談したなあ。その素人の顧問は、実は小学校で兄がお世話になったことがあって 母親も知ってた先生だったから学校に電話してくれた。そこで顧問の先生はたくさん対応してくれて…今思い出しても泣ける。まあ、わたしも段々やる気なくして、鼻歌歌いながら適当にやってた所とかが向こう的には気に食わなかったらしい。そしてコーチに主導権とられてるから 練習でどうのこうのってのは出来なかったし 後輩とかが先生の忠告を聞く訳では無かったけれど、実態を知ってもらえたっていう安心感があった。すっごいムカついたのは、この顧問の先生が異動になって、みんなで色紙を書いたんだけど、わたしが書いたにっこりマークがしっかり落書きされてたこと。その時ばかりは死んでくれって思ったくらい部活のメンバーにムカついた。やっていいことと悪いことが分からない人達だなあ〜はぁぁー

何度泣いて行きたくないって暴れたか分からないくらい精神的に無理だった。突然の大きな音が今でも怖いくらいトラウマになった。引退の時はわたしへの色紙だけ鉛筆で下書きのまま渡されて終わった。本当に最後の最後まで一貫しててもはや笑っちゃう。地元に帰ったら会うんじゃないかって思ってしまうから 福井にあんまり居たくない理由の1つになってしまった。まあ、わたしのことなんて忘れてるんだろうけど。喧嘩も多かったけど、いつも母親が励ましてくれたのが大きかったな。わたし、なんだかんだ皆勤賞だし🤣頑張った。終わり。

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