おじいちゃんの話

去年 母方の祖父が亡くなった。小さい頃は厳しいイメージしかなくて、ソファーでジャンプしてたら怒られたっていう記憶が根強い。ちょっと厳しいおじいちゃんと、穏やかなおばあちゃん。おじいちゃんは将棋と囲碁が強くて わたしはルールが分からなくて出来なかったけど、麻雀も得意だった。お酒が好きで、上機嫌で豪快に笑うおじいちゃんもよく覚えてる。横浜(のちに長野の山奥)に住んでて、わたしは福井に住んでいたから 会えるのはお盆の時くらいだったけど、わたしはおじいちゃんとおばあちゃんに会えるのが毎年の楽しみだった。ただ、おじいちゃんが認知症で段々色んなものを忘れていって、話すことも忘れてしまった。お酒を飲むと ちょっと喋ってたりしたけど(笑)おじいちゃんは言葉を発しなくなっても、身体は元気で逞しかった。反対におばあちゃんは、頭はしっかりしていても、身体がどんどん悪くなっていった。わたし1人で何回か長野に行くようになって、ある時はわたしの荷物を松本駅まで絶対にわたしに持たさなかったおじいちゃん。(わたしのことは客人だと思われてたり 不審者だと思って家から突然だしたりした(笑))あの時は、おばあちゃん次の日身体を壊してまで無理しておじいちゃんと松本駅まで来てくれて、今思い出すだけでも泣きそう。バスの中で涙が止まらなくて隣の人に心配されたな。そしてそのまま肩借りて寝落ちしてるというトンデモご迷惑なやつ…。その数年後は、また1人で行って帰るってなった時に 症状が進んでて薬が切れて 家で大暴れするおじいちゃんを差し置いておばあちゃんにタクシーに乗せられてしまった。その時も わたしが泣き止まないからタクシーの運ちゃんに早く来てごめんねって何度も謝られてしまった。おばあちゃんの手に負えなくなってしまって、最期は施設でだったんだけど 家族で会いに行くとおばあちゃんには反応するんだよね。あぁ 泣いちゃう。

おじいちゃんが亡くなったのは 母親の誕生日の次の日だった。娘の誕生日は避けたんだね なんて話をした。お葬式当日に急遽送辞をすることになって、人前で話すことがてんでダメなわたしは おじいちゃんに伝えたいこと 伝わったかわからないくらいカミカミで おじいちゃんごめんね😫ってなった。

おばあちゃんが田舎に1人になって、救急車に運ばれたりすることが割と増えてきた。幸いにも発見が早くて大事には至らなずに済んでるけれど、心配なのでおばあちゃんも施設に入ることになった。最近、おばあちゃんがおじいちゃんの夢を見るって母親に話したらしい。おじいちゃんきっと おばあちゃんの傍にいるんだろうなあって ほっとけないんだろうなあっ思ってる。わたしがおじいちゃんとおばあちゃんのエピソードで好きなのは 病院に行く時に自然に手を繋いでいた事 家でわたしとおばあちゃんで料理してて、かぼちゃを切るってなった時に、おじいちゃんがすぅっとやって来て かぼちゃを切ってくれて またすぅっと帰っていった事。おばあちゃんは身体が悪くても無理をする人なので おじいちゃんがそれに気づいて支えてたんだろうなあっていう関係が目に見えて分かって おじいちゃんの身体がそれを覚えてることが嬉しかったな。これからまだまだ暑くなるし ウイルスだなんだって不安が多いけど どうかおばあちゃんを見守っててね おじいちゃん。終わり。

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