愛する母上

世界は穏やかに過ぎて行く

何にも囚われず
何にも干渉せず

ただゆっくりと過ぎて行く

戯言みたいな遊幻

なんて粋狂な事なのだろうか。

春は北に行きたくなる。

まだ人肌寒い地で暖かいものを食べたくなる。

夏は南に行きたくなる。

身体中の全水分がなくなるぐらいの汗をかいて冷たいものを食べたい。

そんな人とは逆の事をしてみたくなる。

これは呪いなのだ。

僕の全ては母だった。

僕のハジメテは母だった。

母が桃を剥く姿が好きだった。

僕似の髪が揺れて。

骨ばった細い白い指が

包丁に負けて切られそうだった。

僕の目を見ながら。

嬉しそうに。

例え呼ぶ声が僕の名前ではなくても。

剥く赤が僕の為でなくても。

そこに呼んでる男の名がここにいなくても。

狂いながらも愛し続けている。

そんな男が憎ましく。

間違われるのは惨めでも。

底知れぬ興奮を覚えた。

きっと此れがハジメ。

母はひたすら僕は会った事の無い男の名を呼ぶ。

俺の目を見ながら。

そんなにもこの眼が損な男に似ているのですか。

聞いては終わってしまう事を聴きたくなる。

敬愛なる母上。
私は此処にいます。

眼を捻くり出して真黒な病みになって貴方を見つめたら。

貴方は一度でも僕の名前を呼んでくれますか?

屹と貴方はその眼に向かって愛を囁くだろう。

貴方はそれくらい狂って貰わなければ。

僕が傷ついて。

泣いて。

壊れて。

暴れなくて。

覚って。

当たれなくて。

一緒に狂い堕ちてきた意味が無い。

俺はもう。……………涙の一つも出ない。

母が私を触る。

迷いのない手で。

頬…首……胸…脇…腕..手…………腰…そして

艶かしい感覚に嫌気がする訳でもなく。

女の母に興奮を覚えるばかり。

俺はもうここまで堕ちた。

だから貴方もいい加減落ちれよ。

俺を…私を…僕を…解放してよ。

分かってよ。

親愛なる母上よ。

その日は呆気なくきた。

予兆の何も無く。

静かに穏やかに。

何事にも無く。

雨でも無く。晴れでも無く。

善も無く。悪もなく。

弱り、老い、腐り、焼いた匂いが母だと思うとどうしようも無く愛おしかった。

情愛なる母上よ。

私はどうやって這い上がればいいのでしょう。

貴方と同じ場所まで堕ちたのは貴方と一緒に痛かったからなのに。

ぬるま湯に溺れるように気持ちよかったのに。

もう。…泳ぐ方法なんて憶えていません。

涙も一つも出ないのにどうやって悲しめばいいのでしょう。

涙も一つも出ないのにどうやって喜べばいいのでしょう。

心愛なる母上よ。

貴方が望んだ未来が此処にあるのに。

壊してしまう私を許さないで下さい。

俺は貴方だけで良かったのです。

貴方以外に要らないのです。

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