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ジャンの父、ユダヤの記憶

日本に住んで30年強、東南アジアマレーシアに2年、計35年の人生の中で、ユダヤ人という人たちに出会ったことがない。

割と国際色豊かな友人関係があると自負しているけれども、日本に住んでいて、ユダヤ人の友人に出会う機会はシンプルにとても少ないのだと思う。

演劇にハマっていた大学時代、アーサー・ミラーというユダヤ人の劇作家の作品に出会ったのが、ほとんど初めてのユダヤとの出会いだったと言っていい。それから10年、仕事でジャンというカナダ人の男性に出会う。


一緒にやっていた仕事が終わり、彼の帰国前にと新宿の豆腐料理の店で食事をしていた。お酒も入って、ほとんど他の話は覚えていないのだけれど、ジャンは自分の父の話を始めた。

「父はまだ小さい時、父の姉、つまり僕の叔母と二人で、強制収容所行きのトラックに乗せられたんだ。行き先は、アウシュビッツじゃないけど、規模の大きい収容所の一つだった。叔母は、その道のりで父をトラックから突き落として、自分も飛び降りた。それで命からがら逃げ延びて、父は僕の母と出会って結婚して、今僕がここにいるんだよ。」

私は、見たこともないその光景と、自分のものではないその話が、その時自分という存在にカチッと繋がったように感じた。不思議と、やっと繋がった、というような感覚だった。

どんな人のどんな話でも、そんな風に自分の一部ように感じるわけではもちろんないけれども、時々そういう経験をすることがある。そういう時、自分がこの体でした「実際の体験」なのか、「他の誰かの体験」なのかは、それは実のところ、体験の質としてあまり関係がないのではないか、と思うことがある。「他の誰かの体験」に自分のバイブレーションがカチッとハマってしまう。その物語を自分の中に入れてしまうことが、「実際の体験」と同じ様な記憶や、時には傷を、その人の人生に残すことはあるのではないかと思う。私はジャンの話に傷ついたわけではないけれど。

ジャンのお父さんの記憶は、私の一部になり、今その私がここにいる。


ちなみに、確認していないけれどジャンはユダヤ人ではないと思う。

母親がユダヤ人だと、子供は自動的にユダヤ人になるはずなのだけど、お母さんはユダヤ人ではなかったはずだし、例えそうだとしても、ユダヤのアイデンティティを守り続けたいと、お父さんは思わなかったのかもしれない。わからない。食事をしながら、ジャンは他にもいくつかの情報をくれていたと思うけれど、私の中に残っているのは上の様なごく短い話だけだ。

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写真:一緒に観に行ったディーゼルギャラリーの展示のフライヤー

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