水島新司さんありがとう

 1/10に水島新司さんが逝去されました。親に初めて買ってもらったコミックスは「大甲子園」でしたし、水島作品で野球の楽しさ、野球の見方を学んだので寂しいの一言です。

 僕が子供の頃、水島先生は週刊で「大甲子園」(チャンピオン)、「極道くん」(マガジン)、隔週で「あぶさん」(ビッグコミック)と週2.5本描いていました。今、週2.5本連載できるマンガ家はいないと言っていいでしょう。作品群を見てみると、1973年にはサンデーでは「男どアホウ甲子園」、チャンピオンでは「ドカベン」、マガジンでは「野球狂の詩」、ビッグコミックでは「あぶさん」と週3.5本描いています。

 もっと詳しく調べると、それより増えているかもしれません。水島先生は連載量が異常に多いということはもっと知られていいと思います。

 水島作品を読んで育ったマンガ家は多く、僕が知るだけでも森川ジョージ、ひぐちアサ、満田拓也、井上雄彦、渡辺航が挙げられます。もし水島作品が無かったら、一歩、Major、おお振り、スラムダング、弱虫ペダルはなかったかもしれません。水島作品はマンガ文化にかなりの影響を与えたことをもっと評価されて欲しいです。

 余談ですが、「弱虫ペダル」は一年生でインターハイ優勝を成し遂げて、二年生以降は王座を守る話なので、「これはドカベンでは?」と思っていたら、先週売りのチャンピオンの作者コメントで渡辺航の「野球狂の詩とドカベンが好きでした」というコメントを読んで、「やっぱり…」と思いましたね。鳴子の関西弁は岩鬼のオマージュでしょうし。

 数年前水島先生が井上雄彦と対談したとき、「スラムダンクは経験者が描くと違いますね」、「バガボンドの線はどうやって描いているのですか」と井上に語ったと聞いて、「あれだけの人でも他作品を読んで研究するんだ」と驚いたことを覚えています。水島先生は野球に凄く詳しいというだけではなく、他のマンガ家の作品を読み込む研究熱心な人だったということも知られて欲しいです。

 「バチバチ」の佐藤タカヒロは生前、水島先生に「鮫島面白いですね」と言われて嬉しかったそうです。チャンピオンで連載を持つ後輩も気に掛ける優しさも持っていたようですね。

 僕が知る限り水島先生はジャンプで連載を持っていないので、「なぜジャンプで描かなかったのか」や「実力が着くまでは野球マンガは描かない」と決めていたのを解いたきっかけはなんだったのか?や70年代にドカベン、あぶさん、野球狂の詩、一球さん、球道くんと傑作を連発しているので、「この年代になにがあったのか?」という疑問が多々あるので、誰か水島新司の評伝を書いて欲しい。凄く読みたいです。

 水島新司さんのご冥福をお祈りします。水島先生、ありがとうございました!!

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