いわゆる徴用工問題で、韓国側ができること・すべきこと

 いわゆる徴用工問題では、日本にできることと韓国にできることでは大きな違いがあります。日本にできることは正直にいってほとんどなく、下手な対応をすれば、それこそ日韓関係を破綻に追いやる可能性すらあるわけです(たとえば、政府として賠償に応じる、企業が賠償に応じることを認める、などをすると、日韓基本条約の見直しや過去にさかのぼっての損害賠償請求すら視界に入ってくるわけで)。

 では、韓国はこの問題についてどのようなことができるのでしょうか。一番最初に思いつくのは、「韓国政府が賠償を命じられた企業の代わりに訴訟の原告に賠償金を支払う」ことです。この方法自体、いくつかのところでは触れられており、日韓基本条約からすれば一番筋のいい方法だとは思います。ただ、これについては、訴訟の原告側とその支持者の方々が、日本政府や日本の企業の「謝罪の形として」賠償を求めているという点が、問題を複雑にしているように思われます。韓国政府から支払われても問題は解決しないのだ、という主張ですね。

 この主張の当否自体については何ともいえないところです。そういう立場があることはわかりますし、法が人々の感情を無碍に扱うことを無制限に認めるわけにもいきません。しかし、法の問題と感情の問題を、完全に一致させることはそもそも無理なことです。

 よく、お金には色がない、などという言い方をすることがあります。この言葉の用法には色々なものがありますが、特定の場合には、どんなお金だろうが、払われれば同じである、という内容を意味することがあります。

 たとえば、事件の被害者が、加害者に対して、謝罪を求めることを暗黙の前提として損害賠償請求訴訟を起こすことはよくあることです。そして、加害者に対して賠償を命じる判決が下され、それが確定した場合には、加害者は、被害者に対して損害賠償を支払うべき義務を負います。ただ、その損害賠償を支払う際、加害者が心から悔やんでいようが、事件のことは運が悪かったと思って反省せずにいようが(こういう人は普通賠償金も支払わないとは思いますが)、支払われたのなら、いずれにせよそれは債務の履行だということです。

 ここからわかることは、法の世界と感情の世界を一致させることは、そもそも予定されていないということです(なお、民事事件としての名誉毀損などで謝罪広告が命じられることがありますが、この場合も、心からの謝罪というよりは、外形としての謝罪が問題になります)。伝統的な論じ方でいうと、法と道徳の峻別という問題ですね。道徳は、心から従っていないと道徳に従ったことにならないという側面がありますが、法はそのようなことを要求しないのだ、ということですね。

 そして、以上のことを踏まえると、韓国にまず要求されているのは、いわゆる徴用工問題について、法の問題と感情の問題を切り離すことです。この、本来は別々の問題を一個の問題のように扱っているがために、韓国は何も対応ができなくなっているのだと思います。このことが、韓国側にまずもって求められていることで、すべきことです。

 もっとも、人の感情とそれ以外の問題を切り離すということは、本当に難しいことではあるのですが……。

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