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「何」が欲しいか自分で解ってない人がカモになるって話。

正直、コメントにするか悩んで書き始めた内容なのでちょっと私信チックなので内容の精査が甘いけど、さすがにコメントに書くには長すぎるので記事にしちゃう。
人がおおまかに他人に尋ねたり委ねたりすることはだいたい2種類だと思う。

・「何」をしたらいいか?
・「どう」したらいいか?

この二つは似て非なるもので、前者を他者に委ねるのはとくに注意が必要だと思っていて。日本語の「どうしたらいいかわからない」には「何をしたらいいのかわからない」の意味も含まれることもあるけれど、あくまでも「何」はWhatであり、「どう」はHow。「どうやるか」の方は、「何をやるか」と「その道筋は」決まっていてあくまでの「やり方」の話。

特に人生においては、岡田斗司夫が「評価経済社会」であったり、ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」であったりが言及しているように、食糧自給の拡大により衣食住以外のことを仕事とする「遊んでいるようなことを仕事にしている人」が圧倒的に増え、職業や宗教、住居の自由が保障されていて病気も自然もある程度以上に克服し寿命が自分で認識できてしまうようになった。

人類始まって以来の圧倒的自由な時代に住んでいる我々は、それと引き換えに「何をするか」について迷いやすいとも言え、逆に言えばそれこそ他人に迷惑をかけなければ「何」をやってもいい世界になったのだけれども。

何をするかは自分で決めなければいけない社会

他人によっては決められてた方がよっぽど楽なんて場合もあると思っていて。終身雇用もさることながら、我々の社会から見ると一見ひどいよいに見えるようなインドのカーストも人によっては「どうせ変えられない諦めもあって、楽観的にダラダラと過ごしてる」なんてことをかなり前の配信でひろゆきが言っていたけれども。家業とかがある場合、それから抜け出したいと思う人がいる一方で、選択の制限が結果的にラクって場合も確かにあると思うんだよね。

誰かの押し付けであれ「何をやるか」が決まってしまっているなら、あとは「どうやるか」だけなので。

中学の卒業から私たちは幾度となく進路を聞かれ、「何」をするのか問われているようで、終身雇用制の中に暮らしていた人々は、業務命令で動けばいいから、基本的には「何」を考えることなく「どう」のみを考えてきた。

ただ、元からそこを外れている人や、新卒入社から3年で見切りがつけることが多いという若い人の場合は、「何」について常に考えていかなければいけないわけで。
まぁきついけど、それと引き換えに自由がある。

終身雇用制の中にいる人々ですら、働き方改革により増えた余暇の時間を「何をするのか?」みたいな形で、とにかく選択肢が多い分だけ現代人の悩みはつきない。

人生において「何をしたら良いのか」
他人に尋ねたり委ねたりするのはダメ?

これについてはかなり注意が必要だと思っていて。
というか、「何をするか」の意思は基本的には自分で手綱を引くものであって、他人に委ねるべきじゃない。
特に「これはやり方を学んでいるだけだからと」とうそぶいて、具体的に「何をするか、どういう順番でやるのか」も決めずに、いろんなこととりあえず手を出すのは結局のところ無駄だし、世の中には「How to」を教えるとみせかけて、実は「What」を探している人をカモにして高額なお金をとる人がいる。
資格マニアやノウハウコレクターがカモにされやすいって話があるのもそのあたりだよね。
というか自分の人生のスキーム(計画・枠組み)は自分で組み立てるべきもので、他人に尋ねたり委ねたりするものじゃない。
何をしたいかわからないから、色々手を出しちゃう。それが数珠繋ぎで何か身になっているんだったらいいけど。

ちなみに、具体的にそういったのが多いのはスピ、自己啓発、ポンジスキーム的偽投資、セミナーの周辺だと思う。しかもハマると結構高額な請求をされる。
「成功」や「見栄をはる」という状態だけを欲して、具体的な行動として「何をしたらいいかわからない人」が多いから流行るのはわかるんだけど、なぜか悪いほうにハマってる人って上記のうちの複数が口からでるよね。

もちろん、中には善良なものもあるだろうし、私だって血迷ってたまには占い師にみてもらうこともあるし、おみくじくらいひく。たまに数百円投じて馬券を買うのもいいでしょう。(それを普通は投資ではなくギャンブルというけど)それが数千円のポケットマネーの範囲だったらいいのよ。

「何すべきか?」というのがわからない人に向けたビジネスの問題点はというのはいい加減すぎる未来予測も含まれる上に(未来予測はシンクタンクがガチガチ高学歴の在籍させているくらい難しい代物だと思ったほうが良くて、一方で政治と占い師の話があるくらいに未来を視ることは古来からの人類の思慕でもある)、「どうやるか」という確率を上げることも入ってなかったりそのHowが嘘なので、当たるも八卦当たらぬも八卦で、かなり分の悪いギャンブルと変わらないということ。遊びの範囲だったら問題ないけれど、基本的に大金を払うようなものが多い上に、相手が悪いと他人に操られる可能性もある。

ところで、世の為政者であったりとか、自分たちが流行を作っていると自負のある者たちは、できれば大衆が「何をすべきか」考えない方が自分たちが有利だと思っている節がある。

私は逆ヴァージョンの十数年前に2chの掲示板のサイレント・テロで知ったけれども広告会社では戦略的にこんなことをやっているらしい。

1 もっと使わせろ
2 捨てさせろ
3 ムダ使いさせろ
4 季節を忘れさせろ
5 贈り物をさせろ
6 組み合わせで買わせろ
7 きっかけを投じろ
8 流行遅れにさせろ
9 気安く買わせろ
10 混乱をつくり出せ

電通戦略十

これがどういうことかというと、「何」が欲しいかわからない大衆にモノを買わせるというもので。

そのアンチテーゼとして、我々が心がけるべきサイレントテロの方はこちら

1 余計に使うな
2 捨てるな
3 無駄使いするな
4 季節を感じろ
5 贈り物はするな
6 組み合わせだけは買うな
7 きっかけを感じたら逃げろ
8 流行は無視しろ
9 簡単には買うな
10 混乱は高みの見物だ

サイレントテロ十訓

大衆に向けたテレビの占いが個々人に対しては影響が少ないように、広告によるそれは個々に見ればそこまで大きすぎる影響はないけれども、これが個別対応のカスタマイズ版になった場合はちょっと変わってくると思っていて。

* * *

さて、例えばなんだけれども、バッグを作ろうと思ってる人がいるAさんがいるとする。
あなたはそのバッグにプリントをする技術をもつ工場をやっているとする。
普通であればAさんがあなたにすべき依頼は、具体的なデザインを入稿するかこういう模様が欲しいと具体的に指示をすべきなんだけれども、「そもそもどんな模様にしたらいいかわからない」って依頼は基本的に製作者としては無しでしょうと思うのよ。

具体的に、作りたいものがあるから、生地を売ってくれる人、その生地にプリントしてくれる人、バッグを組み立てる人それぞれに依頼をするだけだけれどもその場合自分用にせよ商品用の大量生産にせよ、「何のためのどんなバッグ」かは結構具体的にきまっているはずで。その上でHowの「どうやるか」部分は他人に委ねてる。誰かに頼るのはかまわないけどそれはやりたいことが決まった上での「やりよう」の部分だと思ってる。

で、どんなバッグが欲しいかわからない人のために出来合いのバッグも売っていたりするんだけれども。それが、どんな大きさで、何のために使うものなのかわかっていたらそれに沿った一番価値に見合ったものを選べばいいんだけれども、そういうのが無い人がいるから流行があるわけで。
元々はバッグはモノをまとめて運ぶというもので、好みに合わせて色を選べばいいし、必要な素材と大きさのものでいいはずなのに、色どころか、なぜか素材や大きさにまで流行があるし、なんなら必要性が明確じゃないバッグほど高価なわけで。
(用途の決まっているバッグって例えば靴袋だったり何かのケースだったりっていうのはだいたい布の量と必要な質で値段が決まっているけれど。)

かなり急でこさえたデフォルメした話だけれども、これってバッグ屋の裏に悪いセミナー講師みたいな人がいるからだよね。それが広告屋なのかアパレル屋なのか、私はそいつの具体的な名前を知らないけど、私もたまにそこで踊ってることがあるのはちゃんと自覚してる上で「見栄」で買っちゃったりはあるよね

これって、一人で何かを作る場合でも、他人に何かを依頼する場合でも、人生でも現代においては一緒だと思っていて。

何をしたいかが一番初めにある。その次に計画が来て、次はその計画をどうやるかがくるわけなんだけど。それが無いのに何か欲しい時はだいたい「見栄」。

そして見栄のために何をすべきか誰かに聞いたなら、その見栄を餌にその相手に搾取される。見栄を張りたいが動機でもいいけど、それならばせめて自力で考え抜くくらいの心持ちは必要だと思う。

迷うなら本屋へ行け

「何をすべきか」を探しているときは、本を何冊読んでも無駄で、読書量はこの世代にしては多いほうだけれども、一度も本にそれが書いてあることはなかった。でも考えてみれば、探しても見つからない時は決まって、どう行動すべきかではなくて、「成功」だったり「見栄」だったりの状態の方を欲している時だった。

たぶん本屋に行っても「見栄をはれる方法」についての答えは出ないけれど、ただ、めちゃくちゃマシな面は、懐が傷むと言ってもその額はたかが知れてるところと、本棚さえ間違えなければ置いてある情報は概ね正しいということ。
(自己啓発とかスピじゃ無いよねとは思うけど。あのあたりはマジで役に立たない。)

具体的に何をするか決まっていて、その方法を欲している時は本にちゃんと書いてある。

そして、本屋にいくこと自体はタダだし、その背表紙のタイトルをインデックスとして見て回れば、本屋を一周するだけで世の中にどんなことがあるかもざっくりわかる。動機は見栄をはりたいでもいいけど、そのために何をするかというのは、その中から自分で選びとって自分で組み立てるほうが重要で、内容が気になるなら手に取ってみるのもいいと思うけれども、それも普通は1000円程度で、せいぜい数千円でガチの専門家が教えてくれる。

本には「何をすべきか」が確かに書いてないから、訳のわからないセミナー講師に頼りたくなるのもわかる。でも、結局そういうところに頼ってみたところで、本当の答えなんて出ないし、もし答えをもらったと思うならそれはたぶん高額なお金を払った上で手下としていいように使われるようなものだと思う。

なぜなら、あなたが「何をすべきか」の答えなんて出せるわけないから。

私が「何をすべきか」を決めるやり方を思い浮かぶとすれば

・パッと一番初めに見つけた何かをつかみとって、どうやって成し遂げるかの手順と、やり方や方法を考える
・ピンとくるものを見つける何かをみつけるまで世の中に何があってまたは何が無いのかを探し続けてから手順とやり方を探すか

の2つに1つだから。

ただ、この記事がポジショントークなのは、結局のところ、まとめの部分で「本屋にいけ」というある意味のWhatでまとめて、ぶん投げてる。

とはいえ、まともな知は本屋で安く売ってるのは「真」だと信じている私からしたら、その中から探すのをスキップしてラクしようなんてのが無理があるよねってちょっと思ってる。

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