2014年2月21日金曜日

昨日、クラプトン武道館ライブいってきました~

(20140220)

あ、ネタばれはもちろんあります。(ここでこれ歌ったとかそんくらい)

すこしだけど。

そもそも私はあまり洋楽を聴いてこなかったので

ただ、10代でオザケンにはまった(90年代)経由で

Rolling Stonesははずせなかったわけです。

でもね~約20年ストーンズのかっこよさがわからなかった。

意味がわからなかった。

Paint it Blackのどこに

美しさや楽しさがあるのか。

そう。

私が音楽だと思っていたものは

どんなに苦悩や葛藤が描かれていたとしても

表現としては涙が流れるような

美しいものや輝きとして伝わるものでした。

だからね~

わかりやすくいえば

10代の苦悩、20代の苦悩しか知らないから

あと、90年代、00年代に日本で過ごした経験しかないから

そこからの想像力でしかものを見られないから

音楽で語られる苦悩は、「自我」とかねもうそれだけで十分だったの。

それでおなかがふくれるの。

だから、彩られる音は

綺麗でわかりやすくてきらきらしていて

最後は自分のカタルシスをおとしこむための涙くらいなの。

おのずと

ブルースをカバーすることから始まった

ストーンズに気持ちは持っていかれなかったわけです。

しかし、わしも年をとれば、

自分の人生にさえ悲しみがあるのかとか

(あ、別にそんな大層なことがあったとか言いたいわけじゃない)

自分より年若い人が死ぬこともあるのかとか

まあ、涙もでない空虚みたいな心持みたいなのがあったり

自分も一旦この国を出たら

相対的に自分の生まれた国やそういうのでしか判断されない部分が多いんだろうなくらいの

知識みたいなものがついてきた30代後半

そして昨年11月Paulのライブに誘われて行ってみたら

そこには、

おそらくいろんな人との別れや葛藤や理不尽や死に物狂いを尽くした果てにも

(The Long and Winding Road的な)

ポールの見せる世界は

宇宙に行くことが目的で

月に行きさえすれば

地球でのベトナム戦争も

冷戦も

なんか相対的に

人間ってすごいじゃん

みたいに許されるそういう

人間の可能性を見せてくれる

そういうリアルな夢とエネルギーが爆発する世界。

なんかね、

40歳とかそういうのを前にしてうろたえていた自分に

ポールが教えてくれたのは

年齢とか時間とか有限だから

たのしいんじゃん

てか

生きてることを許されてるなら

頑張るのが最善じゃんっていうのだった。

だからね、ポールのライブで感じたのは

ちっこい自我が流す涙ではなくて

たとえば

でっかいでっかい滝をみてて

あーあたしのいろんなことって相対的には

そんなにどーでもいいかもなっていう感じの

圧倒的な生きて前に進んでくひとの現実で

実現可能な夢の音楽だったのです。

(ポールだから可能。宇宙人レベル)

で。

長くなったけど。

昨日のクラプトン。

一曲目

Pretendingですよ。

そして、ステージはほんとにシンプル。

真ん中にでかいペルシャじゅうたんがあって

そこにマイクスタンドがあって

そこにクラプトンが。

そして

ベース。

二台のピアノ(シンセ)。

ドラム。

二人のコーラス。

以上です。

最近ライブに行くとよくある

PCとかで作ったイメージ映像みたいなのはほぼない。

たまにあるけど。

そして・・・・

ここは、武道館だったはずだがという空間は

真剣に座って(アリーナもスタンドも)

まあ、指笛くらいはならしますが

聴くオーディエンス。

ブルーノートか?

という雰囲気。

とにかくね、

当たり前なんだけど

自分の身体でステージから降ってくるものをひたすら受け止める音楽聴衆というスタイルなんですよ。

もうね、一滴ももらさず、神の酒?を飲みにきたの。みんな。

神の酒は、音楽以外の一切の他の要素なしごまかしなしの無添加オーガニックですからね

しかも、湧いてくるその雫は絶え間ないですからね

もう、立つ暇も、踊る暇も、ないない。

だからかなんだか、たまに行われる手拍子が村祭り的にもなるわな。

すわってっと拍子って必ず間隔が間延びするじゃん。

なんか、クラプトンは

わかりやすさ

つたわりやさ

たのしさ

素人さん視点でのうれしさ

なんつのは一切ないのですね。

彼は何に対して演奏してるんだろう。

音楽の神様っていうのがいるとしたら

見えないけどクラプトンには見える神様に向けて

ひたすらにギターを走らせる。

そう、ギターが走る。

ど根性がえるのぴょん吉みたいにね

ギターがシャツから飛び出して

クラプトンを走らせてる。

クラプトンは、それにひたすら抵抗なくギターの神様に連れてかれてる。

それを周りのバンドメンバーはひたすら後れを取るまいと

ブルース(ロックではない)ミュージシャンのできる最善

つまりクラプトンの過剰過ぎないオーガニックな声量と

(めっちゃ歌声、金ではなく銀だった。銀の輝きがしみじみホールをうめつくす。)

ここに至るまで

彼の身体をオーガニックたらしめなかった人生がつくった

オーガニックなあの歌声を追っかける。

ポールの健全にもきっと体内にいろんな欲や理不尽な思いという蛇がかけめぐっても

彼はそれを表にはださないけど音のはしばしに少しの苦みがあるんだけど

クラプトンの今に至っての健全というか神的な全うさは

音楽の神様追っかけて崖も落ちて谷を滑落し骨折って傷だらけで

半分もう、heavenにいる。

当たり前のことなんだけど

人間っていつも半分heavenにいるのかもしれないね。

そのことに気づかないで生きていられる人もいる。

でもクラプトンほど、自分って半分heavenに連れてかれてまた俗世に戻されてって繰り返しを

知ってるからこそ

彼は

educational

performative

easy to understand

なことはしないんだろうな。

相手は神様で、その神相手に音楽をやってる。

だからまっすぐじゃない道を歩くと

地獄も見たにちがいない。

その分、人間ってだれもが半分heavenでいつどうなるかわからないなかを

ほとんど暗中模索で生きるしかないって

唄える。

だからロックじゃないんでしょうね。

ブルースなんでしょうね。

諦観が彼の味なのは彼の人生がそうさせたんじゃなくて

彼が音楽の神様の足跡をたどってしまうという欲深さゆえなんでしょうね。

諦観は、きっと、ある秘密を知ってしまった人が秘密と一緒に渡される印みたいなもんでしょうね。

彼が壮絶な人生だからこうなったというより

壮絶な人生担保にいれて、音楽の神様に会いにいったんだろうな。

まあ、とにかく

わたしがイメージしてた

ぎらぎら輝く

Laylaではなく

アンプラグドで静かに唄われる

Laylaだったし

Wonderful Nightも穏やかだった。

Tears in Heavenは哀しくないのだった。

安らかな明るさ。

それでもひとは生きるのだと

それでも俺は音楽の神をおっかけるのだと

飄々と笑ってさえいるようなすがすがしさ。

そう、この人の音楽に恩着せがましい教訓話や涙話は一切ない。

人生は乾いている。

だからこそ音楽が必要なんだ。

そんな感じ。

みんなで音楽の酒を飲もう。

そんな感じ。

ブルースのピアノの人がまたうまくて。

じいさんなんだが、アンコールはなぜか彼が唄っていました。

不思議なんだけど

39歳 11月で聞いたポールは

39歳でもういいやなんていってちゃだめだな

って教えてくれて

39歳 2月で聞いたクラプトンは

貪欲、貪欲でいくと、滑落もある

がしかし

神様に会うのは怖いが美しい

みたいな

なんだ~こっからが冒険の始まりじゃんって教えてくれて

来週のHeavenつか

悪魔的なものを道具として使いながらも

聡く生きて来たストーンズはなにを教えてくれるんだろう!!!!


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