2014年1月20日月曜日

ボストンは、今、2014年1月19日が終わるまであと1時間。
2014年の1月19日はあと1時間で終わってしまう。ああ急げ。
(ちなみに日本の東京では今日は2014年1月20日。)
急ぐには理由あり。
折角、彼のブログを始めるならと、今日、1月19日(ボストン時間)まで待った意味が失われてしまう。彼が生まれて今年で205年。ああ今も生きていそうな、ゴーストと人間の狭間に。彼ってだって
往生際が悪いんだもの。

 マサチューセッツ、ボストン1809年の1月19日、二人の役者の間に生まれた男の子。彼は、Edgar Allan Poe。David PoeとElizabeth Arnold Hoplinsの間に生まれてたった3歳で彼らと別れてしまう運命になった男の子。

 このブログは、ポーまわりのことを書いては野放しにし、そこにこぼれ種落ち、新種の花が咲く場所です。畑がきちんと畝になっていなくてもお許しください。理路整然と作物が実る様子がみられない場合は、存分に水と新しい種をまいてください。

 ポーが赤ちゃんだったころってどんなんだったんだろうって思ってみるけど、基本、赤ちゃんに個性って既にあるのかしらね。ちなみにポーの作品には、赤ちゃんはまずほとんど出てこない。彼の作品に食事シーンが極端にないのと同じように。食事シーンがしっかりと出てくるのは、"The System of Dr. Tarr and Prof. Fether"(1845)だけれども、「私」が18**年の秋にフランスの南端の地方を旅行中、「メゾン・ド・サンテ」(私立の精神病院)にたちより、そこで謎の晩餐に参加するといった下りで描かれる食事風景は、食事にこだわる人々をパロディにしているか、それとももっと意味深な暗喩として使われてるくらいだから。

 ポーにどうして赤ちゃんがでてこないのか。これは結構マジな問題で、基本、生命の誕生って母親の命を脅かす可能性もあるんだから、ポーが赤ちゃん誕生の瞬間や、赤ちゃんがやってくる話っていうのを書かないのは、書かないんじゃなくて、彼が結構好きな、女の人が死んでいくそのシーン、もしくは死んだか死んでいないかはっきりしないままそのまま彼女は彼女のママであるその状況って、赤ちゃんの誕生テーマが挿入されちゃうと、一気にかき消されちゃうんでしょうかね。まあそのあたりは、かなり気になるテーマではあります。

 ポーがどんな赤ちゃんだったのかと言うのを知りたい気持ちを抑えつつ、彼の作品に赤ちゃんがあまり描かれていないということが一つのテーマであることが今日の収穫。

 でありつつ、ポーと同時代、更には晩年のポーが謎の死を迎える数週間前にも、ポーがお金を工面してほしいと頼った作家George Lippard(1822-1854)などは、当時の劣悪な社会環境について書きながらも、赤ちゃんについての記述がみられる。例えばThe Empire CIty, Or, New York by Night and Day(1853)は、クリスマスイブの真夜中に、暖炉に火もないうちの、若夫婦と生まれた赤ん坊の描写で始まる。クリスマスイブの物語としては、この上なく悲しくなる始まりなのだけど、キリストが生まれたその時間に、謎の赤ん坊がキーとなって物語を盛り上げるのに、リッパードはきちんとそのあたりをクリスマスを踏まえながら描写することを考えれば、ポーが赤ん坊を描こうとしてないことは際立っている。
 おそらく当時女性の死亡原因として、出産に伴うことがある程度あったことを考えれば、ポーが女性の死を多く書きながらも、身ごもった女性、新しい命を宿した女性の死をあえて書こうとしていないことは、明らか。まあ、処女性を持たない女性に興味が抱けなかっただけとも言えるが、ポーのリアルライフと考えあわせれば、ポーが1836年に従妹で当時13歳だったVirginia Clemmと結婚して、彼女が亡くなった後、ポーが求婚した何人かの女性には、未亡人の女性もいたはずなので、作家としてのポーと、ポーの個人的嗜好はきちんとわけておかねば。
 作品に描くテーマとして、ポーと同時代のリッパードは(ちなみに、リッパードのThe Quaker City(1844)は出版して一年で6万部も売れた!)当時の社会を描くのに、「赤ん坊」に何らかの役割を持たせるのは、ごくごく普通のことであるし、先程もふれた、リッパードのThe Empire CIty, Or, New York by Night and Dayに至っては、赤ん坊とクリスマスイブのストーリーをうまく冒頭で効果的に使っているわけ。
 にもかかわらず、ポーが生殖の結果、種である「赤ん坊」を描かず、その種を宿す可能性を持ちながらも死んでいく女性のみを描くのは、きっと何かの手がかりであろう。

ポーがどんな赤ちゃんであったか、それを知りたいわたしであるけれど、ポー自身は、最初の両親の思い出をあまり持たぬままに大きくなり、しかし長じて随分年の離れた従妹(叔母の娘)と結婚することになり、描く作品には赤ん坊はでてこない。回りくどいけれど、リッパードあたりから少しずつポーと赤ん坊というほとんど論じられてないあたりを掘ってみるか。わんわん。

あ。リッパードって結構ほんとポーと仲良かったみたいなんだよね。

ポーっていろんな人と喧嘩はするが、実はすぐ人と打ち解けたりする面もある。そんな彼が最晩年に助けを求めたリッパードは重要な作家であるし、1840年代、1850年代ほんとによく読まれた彼の作品が今では読まれることが少ないこの点は気になりますね。

次回は、ポーの最後(1回目が生まれて。2回目が死にまつわるってとこが笑える)とリッパードについて書きたいけど、それって結構大変かもだから気楽に書くわ。

以下リッパードについてちょっと。
http://www.indiana.edu/~bestsell/readings/Quaker_City.pdf (Quaker Cityが読めます)
http://www.librarycompany.org/gothic/lippard.htm
http://bibliothecary.squarespace.com/thequakercityblog/(気になるリッパード学会)
http://ojs.libraries.psu.edu/index.php/pmhb/article/viewFile/28190/27946(リッパードびぶりお)

上記を書くのにお世話になっているのが
Hammond, J. R. An Edgar Allan Poe Chronology. NY:St. Martin's Press, 1998
Reynolds, Daivd S. George Lippard. Boston: Twayne Publishers, 1982

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?