見出し画像

うさぎは道なき道をゆく

5月11日の土曜日。

私は去年のB'zのPleasure2023に引き続き、「一生のうち1回は見ておきたいアーティスト」であるAdoちゃんの「Ado JAPAN TOUR 2024」に当選した。

Adoちゃんとの出会いは去年の5月。

もともと「うっせえわ」が流行った時から知ってはいたけれど、去年の今頃旧Twitterでトラブルを抱えていた私に、知人が「いばら」のYouTube URLを送ってきてくれたのが彼女の楽曲を聴くきっかけになったということもあり、今回の当選にはちょっと感慨深いものがあった。


AdoちゃんのLIVE当選に思うこと

あれから1年。

私ひとりの感傷にしか過ぎないのだけれど、この1年は本当にきつかった。
きつかったけれど、人生の折り返し地点をすでに過ぎた歳の自分にとって、これからも生き続けるために必要なものを手にした実感のある1年でもあった。

Adoちゃんのライブの当選は、そんな自分に神さまが「ご褒美」と「エール」を送ってくれているような気がして、これを書き、公開することを決めた。

旧Twitterで私の身に起こったことについて。
そしてそこを起点に考え、たどり着いて得たもの。

もう息絶えたアカウントの中の人の考えたことなんて、他人にとってはどうでもいいことだ。
それでも私がそれを「書いて」しかも「公開する」理由は、本質的なところでひとつしかない。

「無かったことにしたくない」

したくないのは私だけだ。
「終わったことをいつまでも云々」と言われるのも、その人が当事者でなければ当たり前のことだし、今更「お気持ち表明」したところで起こったことが変わるわけではない。

でも、起こったことの「解釈を変える」ことは出来る。
それはすべての当事者である私にしか出来ないことでもある。
だからこれは100%の純度で「自分のため」に書くと決めた。

私の身に起こったこと

それは、去年の5月10日に自分のTweet(この頃はまだ「Twitter」だった)についたあるアカウントからの所謂「クソリプ」から始まった。

『アラフィフ筋トレ婆さん』だったかな。

スクショは取らなかったけれど、この言葉を自虐的にプロフィールに入れたら、いろんな人からLINEやDMで叱られたのを覚えている。

私に向けられていたクソリプは、そのほとんどが「年齢」と「容姿」、「未婚」「(子供を産める年齢で結婚しなかったことで)子供を産んでいない」ことに対するものだった。
「容姿」は今も続けている筋トレに関するものも多く、歳を重ねた人間がする筋トレを口汚く揶揄するものが多かった。

目を覆いたくなるような言葉を当該アカウントから吐かれ続けたけれど、忘れもしない2023年5月28日、5月の最終日曜日に起こったとある喫茶店での出来事は、それまで書き込まれていた呪詛とは比較にならない「破壊」を私にもたらした。

***************

この日、その喫茶店のとある席で、私は旧Twitter経由で知り合った3人の人間に取り囲まれて「(私)さんが〇〇さんを誹謗中傷しているだろう」といきなり断罪されて「スマホを出せ」「Twitterのアカウントをここで全部見せろ」、そして「(私)さんへの誹謗中傷(←アラフィフ筋トレ婆さん一連のこと)の開示請求をしろ、金も弁護士もこちらで用意するからやれ」と3時間半にわたってその場で責められ続けた(←この長い一文は意図があってそうしている)。

そしてその会話を当時のTwitterのスペース機能で公開され、録音された上、切り取られて拡散されるという、知人曰く「集団リンチの公開処刑」の対象となった。

さらに、この「公開処刑」に関わる相手の人たちは、自ら旧Twitterというネットを通じて全世界に向けてこの様子を発信したにもかかわらず、この日のことについて弁護士を代理人に立てて「自分たちがやったことを口外するな」という内容証明を送達してきた。

**************

ここまでの経緯を読んで、これを読んだ人は何を思っただろう。

「自業自得」と「因果応報」

「そこまでのことをされるあなたは一体何をしたの?」

「そんなことの標的にされるなんて、あなたのほうが相当やばい人なんじゃないの?」

「トラブルに巻き込まれるのは、危機管理能力が無い、もしくは著しく低いからなんじゃないの?」

私が彼ら、彼女らに「した」とされていることをここでは言わない。

なぜなら、私がわざわざここで言わなくても、スペースに参加した人たちやその周辺の人たちから、タイムラインという「公道」でも、DMという「裏道」でも、リアルでお会いする方々への会話でも、「(私)さんがいかに酷い人間か」ということについては語り尽くされているからだ。

そのパワーたるや、単純なフォロワー数でいっても桁が違う。
「数の多い人の大きな声」のパワーを自覚した人たちが、特定の意志をもって拡散したものの真偽や針小棒大なんて意味をなさない。

「(私)さんは酷い人だから、そういう目にあって当然なんだ」
そう言われて鵜呑みにする人がいても私に出来ることは無いのだ。

自分が旧Twitterの中で「そういう人」扱いをされることに対して、私は同じSNSの場で一切の弁解も釈明もしなかった。

「黙ってるってことは逃げたってこと」
「何も言わないってことは反論出来ないってこと」
「まだまだきっと隠してることがあるはず」

誰に何を言われても、私は口を噤んだ。
そういう外野の言う「どう見られているか」よりも、私にはもっと向き合わなければならないことがあったのだ。

こんなことになった原因は自分自身にある

SNSのような「ふわっとした人間関係」の中で、よく知らない他人がこんな目にあったとき、その対象を「自業自得」や「因果応報」といった言葉で裁かずに居られる人は一体どれぐらいいるのだろう。

誰よりも「私自身」がそう思ったのだ。
そして実際に、私と絡むことで「(自分の)イメージが悪くなるって言われたから」とも言われた。
そしてその言葉を聞いた帰りの電車で周囲の人からチラチラ見られるほど泣いたし、今でも帰り着いた大阪駅での雨模様を思い出す。

もちろん、私を励まし、暖かい言葉をかけてくれた人たちも少なからず居たことは確かだ。
しかしその人達にも「(私)さんと仲良くしてたら、そのうち酷い目にあいますよ」とDMが送られてきたと聞いて、私は心からその人達に対して「自分の存在自体」を申し訳なく思って、自らやり取りもやめてしまった。

小さな世界に向かって事実を伝える余地は、これっぽっちも残されていなかった。

**************

たかがSNSのことだ、と言うのは簡単だ。

でも、SNSであれリアルであれ、私という人間は一人しかいない

SNSから抜けたとしても、憎悪を向けられ罵詈雑言や呪詛を思うままに吐かれる対象として扱われた自分自身、という事実は変わらないのだ。

この状況で、私は自分自身の「因果応報」を紐解くしかないと腹を括った。

これほどまでに辛い思いをするのなら、その理由をクリアにして生き直していくことしか「生きる理由」が無いように思えたのだ。

「謝罪」を考える

つらかろうが楽しかろうが、私にも相手にも与えられた「時間」は同じだ。

つらいことも、時薬に任せるために「終わったこと」として意識しないようにするという選択肢もあったけれど、私はそれを選ぶことが出来なかった。

「終わったこと」そして「無かったこと」にするには傷が大きすぎたのもあるけれど、このつらさから目を背けたり、仕事や趣味に逃げることを、私は自分自身に許すことが出来なかった、という表現がいちばん正しい。

「なぜこんなつらい状況になったのか、納得できる理由が知りたい」
「理由を知って、それを直して生きたい」

その「理由」が、相手がいう「私がやったこと(敢えて言うが『やったとされていること』も含めて)」のひとつひとつに本当に原因があるのなら、その事実に向き合って、謝罪するしかない。

しかし相手が怒っていることに対して謝罪する機会は、あの日曜日の数日後にはすでに失われていた。
「謝罪するべきことは謝罪する」と、5月28日のことを第三者がいる場で話をしようと私は連絡したけれど、その連絡は黙殺され「悍ましい(おぞましい)」とまで書かれたあげく返ってきたのが「口外するな」という内容証明だったからだ。

それなら、相手に届かなくても、自分自身で「因果応報」だと言われるであろうことを謝罪する努力をするしかない。

経緯を知る知人には「その思考回路が理解できない」と言われた。
「逆に、あなたがされたことに対しての怒りとかやり返したいとか、なんかそういうプライド的なものは無いの?」と。

無いわけがない。

どうして私だけが、という不条理(に感じていた)や腹立ち、やりようのない怒りや悲しみなんてものは吐くほどあった。
でも、そんな感情を持ったところで意味がない。
相手の思考も事実も変えることは出来ないのだから、それを考えても苦しいだけだ。
よく「悪感情や執着を手放せ」とか尤もらしいことが言われるけれど、そう簡単に手放せればこの世に戦争なんて起こっていない。

そんな他人軸の苦しい感情にしがみつくことより、もっとキツくてもっと大事なことがある。

**************

相手の人たちが言う、ひとつひとつの「(私)さんがやったこと」に謝罪をして赦しを請えるか。

自分が原因ではないことも、自分がやっていないことも「(私)さんがやったように見える」からと、全て自らの責任だと言い切ってその責を負えるか。

私を取り囲んだ人に、スペースに参加した人に、タイムラインで罵った人に「(相手の自己欺瞞を指ささず)自分が言ったこと」を心から詫びられるか。

事実は認めて謝罪する。
事実でないことも、それを招いたのは自分だとして謝罪する(こう書くと他責だとか言われるんだろうけれどもそれは甘んじて受ける)。
自分を誤魔化さない。

**************

どこまで自分に「生き直す」覚悟があるのか。ことあるごとに真剣に自問自答し続けた。

ずっと悪し様に言われ続けてきたのだ。
自分が守るべきはプライドでも体面でもなく、「覚悟」しかない。

「それが出来るならば生きていってもいい」
「出来ないのならば生きる価値がない」

「出来ない」先にあったもの

この自問自答は、まるで冷たい水を張った浴槽に頭を突っ込まれるような息苦しさだった。
頭を押さえつけていたのは自分。
息の出来ない浴槽に頭を突っ込まれていたのも自分。

自分自身に向けて、他人からはばかばかしく見える問いを繰り返すことで、その問いに応えられるかどうか自分を試し続けた。

「他人の行為を赦せる自分」でなければ。
「他人に心から詫びられる自分」でなければ。

そうでなければ「生きる価値がない」と自分自身を断罪し続けた。

知人が教えてくれた「一切皆苦」の言葉が何度も頭をよぎる。


…出来なかった。

心からの謝罪なんて出来ない、逆にされたことも赦せない、頑張ったけどもう無理だと泣いた日、私は絶望した。

それは自分自身に対する「死刑宣告」だった。

だけれど、そう言葉にしてペンで紙に書いたとき、「一切皆苦」を教えてくれた知人とのやり取りを天啓のように思い出した。

**************

「そもそもあなた自身が相手に赦されたいって、本当に思ってる?」

「ガチの謝罪なんて相手も困ると思うよ?謝罪しない、黙って逃げる、他人のせいにする(私)さんでいてくれたほうが相手には都合がいいから」

某所で一緒にステーキをもりもり食べながら赤ワインをがぶがぶ飲んで、酔い覚ましにと二人で土佐堀川を散歩した冬の夜更けの景色が脳裏によぎった。

「他人への謝罪と赦しに苦しむってことは、そもそも『自分自身』を赦せてないからじゃないの?」

東京から来ていた知人は「別の友達にも会いにいく」というので、橋のたもとで手を振って別れたんだった。

**************

SNSのような「ふわっとした人間関係」の中で、よく知らない他人がこんな目にあったとき、その対象を「自業自得」や「因果応報」といった言葉で裁かずに居られる人は一体どれぐらいいるのだろう。

”「自業自得」と「因果応報」”

「それが出来るならば生きていってもいい」
「出来ないのならば生きる価値がない」

”こんなことになった原因は自分自身にある”

「他人の行為を赦せる自分」でなければ。
「他人に心から詫びられる自分」でなければ。
そうでなければ「生きる価値がない」と自分自身を断罪し続けた。

”当章”

「赦す」の手前にあるのは「裁く」だった

私は何より、自分自身を裁いていた。そして赦せずにいた。

自分自身に絶望してやっと、「赦せないと泣く『自分』こそが、私が赦さなければならない対象なのではないか」と、初めて気が付いた。

あんな出来事を赦すなんて無理だ、出来ない、とすすり泣く私。

そう蹲って泣く自分自身を「なぜ赦せないんだ!」と叱りつける私。

叱りつけている自分も、自分のふがいなさと無力さに泣きながら、蹲って泣く自分を殴っていたことに気づいたとき、そのあまりにも救われない光景に、私は愕然とした。

自分自身を断罪しようとするこの刃を、私はきっとこれまで他人との関係性の中で無意識のまま振りかざしていたのだろう。

そもそもこんな拙い生き方しか出来ない自分の基準で「赦す」「赦さない」と考えることそのものが、他者を裁いていた
そんな刃を無意識に振りかざしていた人間から人が離れていくことは当然の帰結だったに違いない。

隙あらば足を掬って、完膚なきまでに叩き潰したい「対象」になることを、私は無意識のうちに自ら選んでいた

私にまつわるひとつひとつの「酷いこと」、そしてその真偽よりも、それをきっかけに「晒し者にして排除したい」という相手の感情を暴発させたのは私自身に原因があった。
これこそが「因果応報」だったのだろう。

赦すも赦さないも、初めから無かった。

自分自身への「死刑宣告」からこのことに気づいたとき、私はいろんな感情からの涙が止まらなかった。

そして、社会に出てから人間関係で苦労したことなんてパワハラぐらいしかなかったこと、高校や大学の友達と今でも旅行に行けること、先輩や元同僚、後輩と仕事を今もシェア出来る関係で居られること、すべてが「周囲に恵まれていた」からこそだったと、感謝で胸がいっぱいになった。

思わずその場で、大好きな先輩にラインで5月28日(あの日からちょうど1年)にゴハンのお声掛けをしてしまうぐらいに。

ラインはいつも敬語な先輩

やっとここまで来た

こうして書いてみると、他人からは「何言ってるのかよくわからない」内容だろうな、とつくづく思う。

これを書くに至るまで、実は10件以上の「下書き」があり、それ以上にA5のノートで3冊以上にペンでずっと手書きしながら自分と向き合ってきた。
それでも言語化にはこんなに苦労する。

他人にとってはどうでもいい、小難しいnoteだけれど、自分のためだけに書く、と最初に宣言したのだからそれでいい。


「うさぎのチャーさん」の中の人は、今もちゃんと生きている。

筋トレも相変わらず、そしてクライアント様からのオファーに頭を悩ませ、それでもお任せいただける使命感をたよりに日々ご飯を頂き、高速をクルマでとばす遠方案件の仕事のお供には、B'zだけではなく大好きなたくさんの音楽を連れていく。

Adoちゃんのライブは7月15日の大阪城ホールだ。

♪さぁ未来貫くその魅惑の痛みは
きっと今よりずっと朝を照らすはず♪

「いばら」作詞作曲:Vaundy

「いばら」を教えてもらってから、目覚めるのに1年かかってしまったけれど、私にとって「痛み」はたしかに「魅惑の痛み」だったと言えるまでにはなった。

ライブは全力で楽しんでこよう。

長い一人語りをここまで読んでくれた方、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?