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心の荷物の下ろし方

若い頃は色々なことに腹を立てていたし、
大人や社会を疑いの目で眺めては不満と不自由さにもがいていた。

世界中のほとんどの事象が、自分にとっては価値のないものに思えて視界は灰色だった。

同年代の子達は脳天気に輝いていて、馬鹿なのかな?と本気で思ってた。自分にはとても真似できないし真似したくもなかった。

今思えば、疑いや不満は自分自身に対する感情だったのかもしれない。自分の本心と現実とのギャップがあり過ぎた。
きっと脳天気にキラキラしてる方が幸せだって分かっていながら、できない状況だったから敢えてそんなふうになりたくない、と言い聞かせていたんだろう。

なぜできなかったか。
家庭環境が大きい。
単純に親とウマが合わなかった。
会社ならボスと考えが違えば辞めるか辞めさせられるか。所属し続けても仕事への情熱は冷めていく一方だ。
家庭では自分で稼げるようにならないうちは所属し続けるしかない。
そうして私の中で心が冷めてしまった。

キラキラしないまま大人になって、自分なりに心を温める努力をしてる中、心に火がつく予感の出会いがあった。
手づくり絵本教室との出会いだ。
絵・文章・工作と、好きな作業ばかりで構成されている。
説明途中で食い気味に入会した。

作れば作る程ハマって、寝るのも惜しいくらい。私の中で情熱が炎上した。
絵本の世界はハイビジョンなフルカラー。

絵本は、恥ずかしながら自分の考えをアウトプットする場にもなっていた。友達や職場の人達など、対面でのお披露目は緊張する。
純然たる自分を見られてしまうのだ。
緊張するのは、まだ本音(絵本の内容)と現実(普段見せている顔)が完全に一致してないからかもしれない。

アウトプットすることは心の荷物を整理整頓するような効果がある。
ここから更に荷物を下ろすには、下ろし先を作らなければならない。それが難しい。
言いかえると腑に落とす、という作業だ。
モヤモヤと黒い負のエネルギーを、ゼロないしあわよくばプラスに変換させることの出来る理由付けを探すのだ。

初めて上手く下ろせたのは「原爆」の荷物。
小学生の頃わが家にあった、はだしのゲンや原爆投下直後の写真集が、大人になっても重たい荷物として存在していた。いつか何かしなくては、と子供の頃から思っていたが、広島旅行では原爆記念館に近寄る事さえ出来なかった。向き合う覚悟がなかった。

それから数年たった終戦75周年。
関連情報やテレビの特別番組などを目にして私なりの荷物の下ろし先が見つかり、この題材で絵本を作る覚悟も決まった。

作る過程は予想通り…過酷。
絵を作る手が何度も止まり、バランスを見るためにページを開くのも無理な日が続く。
気分は真っ黒なキノコ雲の中。

絵本を作ることで原爆の疑似体験を経て、苦しくも生きて命を繋いだ人々に感謝。
目の前にある平和に感謝。
原爆への憎しみよりも、今の感謝が勝った。
無事、荷下ろし完了。

そんな、私にとっては特別な一冊なのだが、ペラペラ〜っと見てヘェ〜ってだけな人もいる。
絵本をお披露目した時のリアクションに良くあることだ。
そして悟る、感じ方は人それぞれ。
私が炎上する事に、全く無反応な人達がいることを実感する。
そして親子でもそういう感覚のズレがあって当然か。と、じんわり腑に落ちる。

原爆の荷下ろしは半ば強制的に行ったのだが、そんなに気張らなくても日常的に荷物を手放すことは出来る。

まずは自分の本心を把握するためのアウトプットで整理整頓。
紙に書いてもいいし、喋ってもいい。

そして自分以外の誰かにリアクションをもらおう。
荷下ろし先のヒントがあるかもしれないし無いかもしれない。肝心なのは傾聴だ。
相手に理解してもらうというより、相手を通して自分への理解を深めるみたいな。

ヒントないかも〜と思って聴いていたら急に荷下ろし先が見つかるようなこともある。
小出しにじんわり見つかるので他者の言葉や態度を全部ヒントと捉えて、紡いでいこう。

要らない荷物を下ろすと心に光が入ってくる。自分自身を自由にしてあげることもできるし世間や他者に優しくなれる気がする。
いつか脳天気でキラキラな世界で生きられると良いなぁ。あの頃の自分も賛成してくれるかな。。。

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