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曜変天目〜宇宙を宿す奇跡の茶碗〜

*このnoteについて
このnoteは、個人的に興味を持った芸術についての探索・調査の記録です。内容は随時加筆や修正を行う可能性があります。

*ざっくりとした内容

  • 曜変天目は、世界に3碗しか存在しない天目茶碗の最高峰。

  • 3碗全てが国宝で、日本の美術館が所蔵している。

  • 禅僧によって中国から日本に伝来し、茶道の世界で重宝され、「至高の茶碗」と称される。

*はじめに
今回、変天目茶碗についてnoteを書くきっかけとなったのはジョン・トッド氏の「自分を鍛える(Todd's Self-Improvement Manual)」という訳書だ。
1800年代に出版されて以来、今もなお多くの人に読まれており、タイトル通り自分を鍛えるための思考法や読書術が綴られた自己啓発本である。

個人的には「自己啓発」という言葉に対して胡散臭さを感じるが、本書は人としてより良く生きるためのヒントを与えてくれる、学びの多い本だった。

その本書に「胡乱」という言葉が使われていた。

う‐ろん【 × 胡 ▽ 乱】[名・形動]《唐音》1正体の怪しく疑わしいこと。また、そのさま。「―な者がうろついている」2確かでないこと。真実かどうか疑わしいこと。また、そのさま。「誤を正したり、―な所は字書を引いて見たりして」〈風葉・恋ざめ〉3乱雑であること。また、そのさま。「かき本は字が―ですぢない字どもをかきをけども」〈史記抄・高祖本紀〉補説「胡」は、でたらめの意。また胡 ( えびす ) が中国を乱したとき、住民があわてふためいて逃れたところからという説もある。派生うろんげ[形動]

大辞泉

どうやら「胡散臭い」の語源の一説らしい。

そこではたと気づいた。
疑り深い性格で日頃からよく使う言葉なのに、「胡散臭い」の「胡散」がなんなのか1ミリも知らない。

Geminiに質問したところ、以下の回答が出た。

「胡散臭い」の語源にはいくつかの説があります。

「胡乱(うろん)」からの変化
室町時代に中国から伝わった「胡乱」という言葉が変化したという説。「胡乱」は、異民族の侵入による混乱や、そこから転じて「いかがわしい」「怪しい」といった意味で使われていました。

「烏盞(うさん)」からの変化
抹茶茶碗の一種である天目茶碗の釉薬「烏盞」から変化したという説。天目茶碗は高価な焼き物でしたが、産地や年代が不明確なものも多く、「胡散」という言葉の「怪しい」「いかがわしい」といった意味合いと結びついたと考えられます。

これらの説に加えて、中国の王朝「胡」から来た品物に偽物や粗悪品が多かったため、「胡」という言葉に「怪しい」というイメージが付いたという説もあります。

いずれにせよ、「胡散臭い」という言葉は、室町時代頃から使われ始め、時代とともに「怪しい」「いかがわしい」「信用できない」といった意味合いを強めていったと考えられています。

Gemini Advanced

「胡散」が天目茶碗の釉薬「烏盞」からの変化という部分に注目したところ、辿り着いたのが今回のテーマの曜変天目だったのだ。


曜変天目とは

曜変天目(ようへんてんもく)は、世界に3碗しか存在しない天目茶碗の一種。
天目茶碗の最高峰として大変貴重なもので、3碗全てを日本の美術館が所蔵し、いずれも国宝に指定されている。

「曜変」は、「窯変」から変化した言葉だ。
窯変(ようへん)とは、陶磁器を焼く際に、窯の中の温度や湿度、灰の成分などの偶然の要素が重なり合うことで、釉薬が予期せぬ変化を遂げる現象である。

釉薬(ゆうやく)とは、陶磁器の表面を覆うガラス質の被膜のこと。
焼締陶(やきしめとう)以外の器にはほとんど釉薬が掛かっていて、釉薬に色彩を施すために、呈色剤(ていしょくざい)となる酸化金属(着色金属)を加える。
その代表が鉄で、鉄の分量によって黄色から茶色、茶色から黒色に変化し、黄瀬戸釉(きせとゆう/きぜとゆう)、飴釉(あめゆう) 、天目釉(てんもくゆう)などと呼ばれる。

曜変天目はこの窯変によって、漆黒の釉薬の上に斑紋状の模様と、光によって変化する虹色の輝きが生み出されたものだ。

この神秘的な輝きを表現するために、「窯変」という言葉ではなく、「光り輝く」という意味を持つ「曜」の字を用いて「曜変」という言葉が生まれたと考えられている。

漆黒に星が瞬くようなその美しさから、まるで宇宙のようだと評されている。

天目茶碗の歴史

天目茶碗の歴史は、中国の宋時代にまで遡る。
福建省の建窯で焼かれた黒釉の茶碗がその始まりで、当時は「建盞(けんさん)」と呼ばれていた。

中国での発展

宋時代は茶文化が隆盛を極めた時代で、建盞は喫茶の場で重宝されていた。特に、曜変天目のような美しい斑紋と輝きを持つものは、皇帝や貴族の間で珍重され、高値で取引されていた。その後、元時代に建窯が衰退すると共に、天目茶碗の生産も途絶えたと見られている。

日本への伝来

建盞は、鎌倉時代に禅宗の僧侶たちによって日本に持ち帰られた。 
中国の天目山で修行を積み、帰国する際に茶碗を持ち帰ったことから、日本では「天目茶碗」と呼ぶようになった。

その後、日本では禅の精神を体現する茶道具として珍重され、茶道の世界で重要な役割を果たした。

日本での展開

室町時代以降、日本では中国の建盞を模倣した国産の天目茶碗が作られるようになった。
瀬戸や美濃などの窯で焼かれたこれらの茶碗は、「瀬戸天目」「美濃天目」などと呼ばれ、日本の茶文化に深く根付いていった。

日本文化への影響

天目茶碗は、日本の文化、特に美意識や精神性に多大な影響を及ぼしたと考えられる。

1. 茶道文化への貢献
天目茶碗は、侘び寂びの精神を体現する茶道具として珍重された。
特に曜変天目茶碗は、茶室における鑑賞の対象として、また茶会の格式を高めるための道具として重要な役割を果たしてきたと見られる。

2. 陶芸技術の発展

日本の焼き物の歴史は一万年以上だが、天目茶碗は日本の陶工たちに技術的な刺激を与え、国産天目茶碗の生産を促した。
瀬戸や美濃などの窯では、中国の天目茶碗を模倣しつつ、独自の技法や表現を追求し、日本の陶芸技術の発展に寄与している。

3.日本的美意識の形成
天目茶碗の釉薬に見られる窯変による偶然の美しさは、日本の「侘び寂び」の美意識と深く共鳴したと考えられる。
自然の力強さや不完全さの中に美を見出すこの美意識は、茶道だけでなく、庭園、建築、絵画など、日本の様々な芸術分野に影響を与え、日本文化の根幹をなす要素の一つだ。

曜変天目の歴史上の保有者

曜変天目は、その神秘的な美しさから「至高の茶碗」と称えられ、室町幕府の将軍や大名など、権力者たちによって所有されていた。

歴史的に有名な所有者としては、以下が記録されている。

  • 足利義政…室町幕府8代将軍。

  • 織田信長…戦国時代の武将。

  • 徳川家康…江戸幕府初代将軍。

  • 稲葉家…徳川家康の家臣。静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目「稲葉天目」を所有していた。

天目茶碗の分類

天目茶碗の種類は非常に多岐にわたり、その分類方法も様々だが、主な種類は以下の通り。

窯変によって生まれる模様による分類

曜変天目(ようへんてんもく)
斑紋と光彩が最も美しいとされる最高峰の天目茶碗。

油滴天目(ゆてきてんもく)
油滴のような斑紋が特徴。斑紋の大きさや密度によって、さらに細かく分類される。

禾目天目(のぎめてんもく)
稲穂のような細かい線が放射状に現れる。

玳玻天目(たいひてんもく)
鼈甲のような斑紋が特徴。

灰被天目(はいかつぎてんもく)
灰釉が部分的に被り、独特の景色を生み出す。

模様による分類

木葉天目(このはてんもく)
葉っぱの模様が浮かび上がる。
兔毫盞: ウサギの毛のような細い線が特徴。
文字天目: 文字のような模様が現れる。
鸞天目: 鳳凰のような鳥の模様が現れる。 

産地による分類

建盞(けんさん)
福建省建陽の建窯で焼かれた天目茶碗。

吉州窯天目(きっしゅうようてんもく)
江西省吉州窯で焼かれた天目茶碗。木葉天目や玳玻天目などがある。

瀬戸天目(せとてんもく)
日本の瀬戸焼で焼かれた天目茶碗。

美濃天目(みのてんもく)
日本の美濃焼で焼かれた天目茶碗。

その他の分類

白天目(しろてんもく/はくてんもく)
白い釉薬をかけた天目茶碗。

青天目(せいてんもく)
青い釉薬をかけた天目茶碗。

これらの他にも、様々な模様や釉薬の組み合わせによって、無数の種類の天目茶碗が存在する。

所蔵美術館

前述の通り、曜変天目は世界に3椀のみ。
その3椀すべてが日本の美術館にあり、いずれも国宝だ。

【大阪府】藤田美術館

・南宋時代12~13世紀の曜変天目を1個所属。
・徳川家康が保有していた。
2024年6月1日〜2024年8月31日まで特別展示中
藤田美術館公式サイト

【京都府】大徳寺龍光院

・詳細不明
・常設展示なし
参考サイト:MIHO MUSEUM

【東京都】静嘉堂文庫美術館

・南宋時代12~13世紀の曜変天目を1個所属。
もともと徳川将軍家に伝来したとされ、後に稲葉家に伝わったことから「稲葉天目」と呼ばれている
・常設展示なし
静嘉堂文庫美術館公式サイト

まとめ

胡散臭いの語源から出会った曜変天目。
その歴史と宇宙のような美しさは、現代に生きる私たちの想像力を刺激する。
曜変天目に魅せられた陶芸家の中には、再現のために生涯をかけて情熱を注いだ人もいるだろう。

いかがわしいもの、怪しいものはいつの時代にも世に出回る。しかしたとえ「胡散臭い」呼ばれても、そこに注ぐ情熱に本物を超えるだけの信念や想いがあれば、模倣を超えた新しい価値が生まれる。
その過程は、千利休が提唱した「守破離」そのもの。

人々に認められる芸術品の陰で、ひっそりと生まれては消えていく星のような作品たちに思いを馳せながら、これからもより多くの芸術に出会いたい。

参考文献

  • 「陶工房No.93」株式会社 誠文堂新光社、2019年

  • 「陶工房No.96」株式会社 誠文堂新光社、2020年

  • 海老原肖映「曜変天目殺人事件」英通堂出版、2013年

  • 藤田美術館 公式サイト「曜変天目茶碗」https://fujita-museum.or.jp/topics/2022/03/25/1903/

  • 静嘉堂文庫美術館 公式サイト「曜変天目(「稲葉天目」)」https://www.seikado.or.jp/collection/clay/001.html

  • MIHO MUSEUM 公式サイト「曜変天目」https://www.miho.jp/booth/html/artcon/00010618.htm

オリジナルのイラストや写真と共に、旅やグルメについて語ります。サポートしたいと思えるようなコンテンツを生み出せるよう、コツコツ楽しみたいと思います。