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うさぽんのりこえ術‐その2「言葉を大切にする」

うさぽんぽん!

昔、読んだ本に「言葉を大切にしよう」と何度も出てきた。

私が16歳の頃…
生活も心も、全てにおいて荒れに荒れていた。

「言葉を大切にしよう」この意味がさっぱり分からなかった。

口癖は「あー早く死にたい」

毎日、口癖のように100回は言っていただろう。

この時期、私は嘘つきだった。

どんな噓をついていたかというと、うさぽん昔話でも少し触れたが、私は、児童養護施設に住んでいることを長らく「恥」だと考えていた。

中学から高校になると、私の生活を知る同級生いなくなる。

そこで、私は設定を考えた。

4人家族(父母、姉)の末っ子。
そこそこ金持ちで、パパとママは厳しい。
土日も家族で出かけることが多い。
母は料理好きで優しく姉は妹思いの4つ上のおねぇちゃん。

完璧な設定(嘘)を考えていた。

結論を先に言うと、自分がついた嘘のせいで
どんどん苦しくなった。

完璧な設定が壊れると、こんなはずじゃなかったと後悔ばかりした。

そう、私はそのような一般的な家庭がどんなものなのかを知らなかった。

知らないのに、あたかも知っているかのように、嘘で誤魔化していたからだ。


私は、そこそこ金持ちの4人家族の家庭がどのようなものなのかを、何も知らなかった。

何となくテレビや友達の話を聞きかじって知った程度だった…

知らないことは、嘘すらつけない。
そんな当たり前のことすら気がつかなかった。

両親が厳しい設定にしたのは、児童養護施設では、毎日「当番」があるからだ。

洗濯や掃除等の担当があり、それを毎日こなさなければならない。

当番をさぼると厳しい体罰がある。
学校が終わってからの決まりごとやルールが沢山あった。

バイトはその当番のあとに行く決まりだった。

土日は、奉仕活動があり、老人ホームや近所の集まり、ごみ拾いや募金活動に駆り出される。

そんな事情を友達に知られるのが私にとっては、とてつもない「恥」だった。

今、ふりかえると「バカ」だなと笑える。

ただ、当時は嘘をつくことに全力を注ぐことが私の全てだった。
恥ずかしい思いはしたくない!
そう思い立ち、嘘をつき始めた。


小中と、児童養護施設に住んでいることを散々馬鹿にされた経験があったからだ。

からかわれる度に、必ずオチに「捨て子のくせに!」等と言われて悔しかったからだ。

その自分で作りだした「恥」のせいで、自分を苦しめていた。

嘘をやめたいと思っても、今更やめられない。毎日がその闘いだった。

自分の思考と自分の言葉で、自分自身を苦しめていた。

きっかけはどうであれ、その当時の「今」は、他人のせいではなく、自分自身の思考や言葉が、自分を一番苦しめている原因であり、全力で自分に加害し、苦しめていた。

そして、それに気が付かずに親のせいにしていた。

私が苦しいのは親のせいだ!と、怒っていた。


なんとも間抜けな話だが、当時はそれが自分の防御だと信じていた。

苦しみは全て親のせいにした。
私が苦しんでいるのは「親のせい」あいつらのせいだ。そう思うと一瞬で楽になった。(その場しのぎではある…)

そして自傷を繰り返す日々。

結果、様々な偶然が重なり、のちにこの嘘は友達にバレ笑い話になった。

嘘をつかなくてもよい生活は、とても楽しかったし、施設に住んでいることをバカにする友人は1人もいなかったのだ。

過去の間違ったメッセージを真に受け、また施設に住んでいることをバカにされるに違いない!こう、強く思い込んでいたのは自分だ。

友達を信じず、嘘で誤魔化そうとした自分こそが恥ずかしくなったのです。

それでも、児童養護施設に住んでいることを「恥」と感じてはいたものの、私の嘘を笑い飛ばし許してくれた寛容な友達達には、心から感謝している。

「言葉を大切にしよう」

これは、どういうことか?
そんなの当たり前でしょ!常識だよ!
大人たちはそう思うかもしれない。

では、具体的に説明し教えて欲しいと言われたら、あなたはどの様に答えますか?

大人になると、当たり前のことが当たり前すぎて、考えずに忘れてしまうことが多々ある。

子供は、率直に質問をするので子供の質問に大人がハッとさせられることすらある。

そう、私たち大人はしがらみにがんじがらめにされすぎて、当たり前のことを忘れていないだろうか?


ここで、池田さんの「言葉の力」を引用します。

「言葉の力」 池田晶子 (中学『国語3』)

『言葉を信じていない人は、自分のことも信じていない。

しかし、自分を信じていない人生を生きるのは、とても苦しくて大変だ。

言葉ではああいったけれども、本当はそうは思っていない。

そんなふうにしか生きられない人生は不幸だ。

言葉と自分が一致していない人生は不幸だ。

だから、本当の自分はどこにいるのかを、
人はあちこちを探し求めることになる。

しかし、本当の自分とは、本当の言葉を語る自分でしかない。

本当の言葉においてこそ、人は自分と一致する。

言葉は道具なんかではない。

言葉は、自分そのものなのだ。

だからこそ、言葉は大事にしなければならないのだ。

言葉を大事にするということが、自分を大事にするということなのだ。

自分の語る一言一句が、自分の人格を、自分の人生を、確実に創っていくのだと、自覚しながら語ることだ。

そのようにして、生きることだ。

言葉には、万物を創造する力がある。
言葉は魔法の杖なのだ。

人は、魔法の杖を使って、どんな人生を創ることもできる。

それは、その杖をもつ人の、この自分自身の、心の構え一つなのだ。』

池田晶子さんの「言葉の力」


「自分探し」はしなくてもいい。
なぜなら、ここにいる自分を探すことの無意味さに気が付けば探さずにすむからだ。

あなたは、自分の思考(思い込み、決めつけ、勝手なジャッジ、憶測、被害妄想、嘘、他人への期待、等々)や言葉で、自分の心を痛めつけていないだろうか?

自分への批判を繰り返ししていないだろうか?

自分をいじめていないだろうか?

自分を褒めることを忘れていないだろうか?

自分を許せず罰を与えていないだろうか?

他人の思考や言葉を、自分の考えだと勘違いしていないだろうか?

鏡を見て、頭に浮かんだ言葉を自分に投げかけてみるといい。

言葉を大切にするとはそういうことなのだ。

同時に、自分の言葉が他者にどのような影響を与えているのか、自分の言葉でどのような人が集まっているのか、そこで何を語っているのか、嘘をつく為のグループには、やはり嘘つきが集まる。

破壊的、破滅的な人の周りには、手のひらをコロコロ変えるカメレオンの様な人ばかりが集まる。

嘘はつかない方がいい。

これは、私が16歳の時に学んだ一番大きな分岐点となる出来事だった。

そして、そこに気が付くと「言葉の大切さ」に気が付く。

更に、自分の愚かさを認めることで、新たな道に進むことができる。

悩むな!考えろ!
と、池田さんは常々言っていた。

私は、何度、この言葉を繰り返したか分からない。

大きな壁にぶち当たるたびに考えて乗り越えた。

結局人は、誰も助けてはくれない。

途中で手助けはしてくれるかもしれないが、
最終的に、壁を登り続けるのは自分だけだ。

他人がどうにかしてくれるだろう…
等の考えを捨てた方が、心の平穏は保てるのです。

転んでケガをしたら、自分でお手当をする。

その方法を知っていれば、転んだら自分で起き上がり、手当てをし、また進む事が出来る。

他人に依存する必要もない。

誰かに相談するな、と言ったことではなく、相談するタイミング、相談したい内容を、よく検討してからでもよいという事です。

他人の心の傷の手当そのものや、その全てを他人が請け負うことは、絶対に不可能だ。

自分で考え、進むしかない部分も必ずでてくるからだ。

その為にも「言葉を大切にする」
苦しい時に、自分にかける言葉は、他人の言葉ではなく、自分で考え自分が決めればいい。

自分を褒める事が苦手な人は、最大限の誉め言葉を事前に用意し、自分を励ませばいい。

誰かを罵りたくなったら、適当な紙に書き出し、その後、破り捨てればいい。寝る前に、自分の枕にでも悪口をいえばいいのです。

他人に何を言われても、答えは自分が決めるのだから。

だから、言葉は自分を信じることに繋がるのだ。

言葉は自分そのもの。
このことを忘れないで考えて欲しい。

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