映画「ミッドナイトスワン」感想※ネタバレあり※

「草彅くんの映画、観にいかない?」
軽い気持ちで母親にLINEした。

SMAPファンだし、LGBTQ+の映画らしいし、なんか色々ちょうどいいかも〜
という、
今思うと、彼女が私の横で驚いていた理由がめちゃめちゃわかる、頭ふわふわのアイデアである。
(なんで私の彼女は、母親誘うの止めた方がいいってわかったんだろう?)

前置きはこれくらいにして、感想を書いていこうと思う。
ネタバレをおおいに含むので、まだご覧になってない方はご注意くださいませ。

まず、草彅くんはじめ、俳優陣の演技がとにかく素晴らしい。
草彅くんだということを途中から完全に忘れて、なぎさの人生を追っていた。
なぎさはあの映像の中で、確かに生きて、歳をとって、死んでいった。
一果の肌質(顔色)、髪、目付きの変化も、新人とは思えない迫力。
ふたりを囲む人々も、それぞれにクセがあって、なのにリアル。

と、このへんまでは、母親とも共有できた感想。
というか、これ以上のことは何も言えなかった。ふたりとも。

だって、当事者目線になってしまったから。
大衆向け娯楽として楽しめる立場じゃないから。

私が何よりも心にきたシーンは、なぎさが女になって実家に戻って、一果を「迎えに来た」と言ったところ。
取っ組み合いになってはだけた胸、膨れた乳房を見たなぎさの母親は発狂し、一果の実母は「バケモノ!」と言うのだ。

私がカミングアウトをした時に、今隣で一緒に映画を見ている母親から「気持ち悪い!」と言われたあの日と重なった。
なぎさは、女の体になって、「ありのままの自分の姿」を「バケモノ」と言われた。
それが、自分と重なってしまった。

一果と、同級生のりんが、キスをするシーンがあった。
生きがいだったバレエを失い、一果に恋をしていたりんは、死んでしまった。
愛を知らずに死んでしまった。「かわいそう」な描かれ方だった。

母親は、どんな思いで、あのシーンを見たのだろう。
女同士のキスシーンを見て、私のことを重ねたりしたんだろうか。

なぎさは最期、女の体を維持するためのケア(メンテナンス)を「サボり」、介護が必要な身体になってしまう。
家で、独りで、オムツを替えてくれるのは家族ではなくボランティア。
ことごとく「泣かせる」演出の中で、なぎさは死んでいく。

ケアができなかったのは、一果のバレエレッスン代だろうか…。
それとも、就職への苦労から、お金の問題だろうか…。
この辺の考察はされている方も多いようなので割愛して。

卒業して一果がなぎさに会いに行った時の、なぎさの部屋の様子とか、一果視点での映像が、怖くて怖くて。

あんなに整理整頓にうるさくて、いつでも綺麗に化粧して、ヒールで早歩きして、透明な水槽の金魚も元気だったのに。

私も、年をとってから、もし彼女がいなくなったら、ひとりになるのだろうかと怖くて仕方なくて。
今はまだ子どももいない、できるかわからない。家族が欲しいな、と思う。子どもだけが家族とは思わないけど、でも。
私は寂しがり屋だから。たくさん欲しい。

映画を見終わったあと、色々考えてしまって、涙がとまらない。
感受性が豊かすぎる人は、気持ちに余裕がある時にこの映画を観て欲しい。
演技がすごすぎて、映像がすごすぎて、心の処理が追いつかなくなる。

なぎさの寂しさ、哀しさ、苦しさ、そして最期の穏やかさ。
私の心に数十年分のなぎさの人生が流れ込んできてしまって、頭が痛い。

映画の感想といったら、良かったとか悪かったとか評価のようなものになりがちなのだけど、私にとってはこの映画は、「経験」だった。

今はまだ混乱しているけれど、これからこの「経験」を、私の中でゆっくり消化していきたいと思う。

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