共同養育計画について

5月16日参議院法務委員会

○福島みずほ委員
共同養育計画なんですが、外国で結構細かく規定しているというのは理解しています。ただ、子どもも成長するし、サッカーの試合があるとか部活をやっているとか習い事しているとか、子どもも今日びの子供は忙しいわけですよね。その場合に、がちがちに、夏休みはお父さんのところに何日間行くべしとかあると、子どもの生活、人生そのものが物すごく拘束されるという危険性があります。また、親講座、親ガイダンスも、私は重要なこともあり得ると思うんですが、一方で、我慢しなさいとか、子どものためにやっぱり共同親権がいいですよみたいな形である種の家族像を押し付けられるというふうな危険性もあると思います。その点についていかがでしょうか。

○竹内努法務省民事局長
法務省におきましては、法学者や心理学者の協力を得まして、離婚後養育講座の調査研究を実施してきたところでございます。この調査研究におきましては、協力いただいた研究者等から、DVやハラスメント等のある事案については講座の内容が必ずしも当てはまらないケースもあり、個別具体的な事情に即した対応がより重要であるとの指摘もされたところでございます。
こうした指摘も踏まえまして、引き続き、適切な養育講座の在り方について関係府省庁や地方自治体等と連携して検討したいと考えております。

参議院法務委員会附帯決議

八 父母による子の養育が互いの人格の尊重及び協力関係のもとで適切に進められるよう、父母の一方及び子に不相当な負担や心理的負荷を生じさせないことを確保しつつ、離婚前後の子の養育に関する講座の受講や共同養育計画の作成を促進するための事業に対する支援、ADRの利便性の向上など、関係府省庁及び地方公共団体等と連携して必要な施策の検討を図ること。

元夫婦間でコミュニケーションが可能ならその時その時でいい。うちなんかもそう。「○○に行きたそうだから連れてって」「用事があるから面倒見て」「夏休みに旅行に連れて行ってあげて」「部活の試合あるんで見に行ってあげて」とかそんな感じ。こっちからも誘うけど、当然子どもの都合優先。

芸能人の元夫婦なんかで円滑に親子が会えているような場合もそんな感じ。理由があって離婚してて、同居はもう無理だけど、離れている分コミュニケーションができて、時々会う分には問題がない。そうじゃない場合に共同養育計画で縛るのは却っておかしくなる。

これを殊更に「共同養育」と言う人はいないし、現実の負担は一方に偏っている場合がほとんどで、そこを一応養育費でバランスさせている。それだって、その養育の絶対的価値に対して養育費額がどうかと言えば、無償労働の貨幣評価やこれを担う妻が得る経済的便益と同じく過小評価である場合がほとんど。

別の角度から言えば、養育には公的、社会的な支えが必要であり「共同養育」というのはむしろ、そうしたものとしてひとり親、ふたり親、あるいはそれ以外の養育者の場合であるとを問わず開かれたものを言うのが適当だろう。それを殊更に元夫婦間に閉じる不穏な傾きがこの用語とその使われ方にはある。

離婚に際して、養育の基本的な役割分担や連絡・調整の仕方、養育費に係る事項などを確認、合意することは必要だが、それ以上のことはケースバイケース。面会交流にしても原則的なペースや、関係性によっては所要時間や場所、引き渡し方法は取り決めればいいが、それ以上のことは基本的に必要ない。

「共同養育計画」が後々揉めないための最低限の確認・合意事項ということであれば、それを計画と称するかはともかくとして必要だ。その場合でも、夫婦間の関係性、親子間の関係性などを敏感に踏まえた形でまとめられないと、どういう項目がどの程度定められるのであれ有害なことになり得る。

別居親の同居親への不信をベースとして、自らの希望や独善的な「子どもの利益」を叶える手段として共同養育計画が作られ、振り回されるのであれば百害あって一利なしだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?