持続化給付金訴訟高裁判決を受けて――セックスワーク争点化の誤り

性風俗業を一律に排除する一方で、持続化給付金でも他の給付金等でもスピード感を優先した結果不正受給やグレーな受給が多く出ているというのは整合性を欠き合理的なものではない。スピード感を優先し事後的なチェックを厳しくすることには合理性があり、性風俗業もそれでよかった。

私はセックス《ワーカー》側にも問題があるということは書いておらず「どっちもどっち」論も取っていない。性風俗事業者が持続化給付金を巡って「セックスワーク/ワーカー差別」というフレームを立てることの問題を指摘。ワーカーは訴訟当事者でも給付金の受給資格者でもなく、事業者が主体だから。

まず、ワーカーと事業者を切り離して下さい。そして、引用部分を争点化せずセックスワーク/ワーカー差別を争点化したことで国が乗り裁判所も乗った中で、そこに性差別、(ヘテロ)セクシズムが現れたという分析です。であればそこは突くべきですが、実は性差別等は原告も共有しているという指摘です。


「納税者(国民)の理解」を基準にするならば多くの業種が問題にされる。特定業種の救済・振興を目的とせずユニバーサルな制度である以上、合理的な除外は困難だし、他制度にこの論理が持ち込まれたら(実際、元暴力団員など持ち込まれている)危険だという認識が欠けている。

だから、事業者が原告の訴訟で「セックスワーク/ワーカー差別」のフレームを立てて全面的に争点化したというのは戦略ミスだと思うし、そもそも戦略以前に性風俗事業者がこのフレームを立てることの正当性はないと私は考える。

まだ高裁判決は読んでいないが、一審では国の主張でも判決でも、セックスワーカーが行うものとしてのセックスワークとセックスワーカーを使うものとしての性風俗業とが互換性を持ってしまい混同されている部分があった。当然原告の主張ではその混同、すり替わりがある。まずここを峻別すべき。


一審来しばしば言われ高裁判決でも引かれる「性を売り物にする本質的に不健全な営業」は直接的には性風俗関連特殊営業について述べている。即ちセックスワーカーが自らの性を売り物にするセックスワークを指示するものではなく、事業者がセックスワーカーの性を売り物にする営業を指すものだ。

そして、高裁判決の論理も、職業差別が言い得るとしても、それは主として、セックスワーカーの性を売り物にする営業としての使用者の職業についてであって、セックスワーカーのセックスワークという意味での職業についてはその意が現れる箇所はあるが判決の主旋律でないのは一審と同じだ。

判決の論理からは外れるが、原告が職業差別を訴えるのであれば、性風俗関連特殊営業が成り立つということが性差別構造の下で可能なのではないか、性差別意識が働いているからこそセックスワーカーを使用できるのではないかということを根本的には自問すべきだ。

とは言え、あくまで制度論、法律論としては、他にも道徳的に疑わしい営業、少なくとも持続化給付金等の対象とすることに国民の多数の理解が得られるとは見込みがたい営業がある中で、性風俗関連特殊営業が殊更に除外されることに合理性があるとするのは論点先取だとは考える。

むしろ、国の主張と一審判決と同様に、風俗営業と性風俗関連特殊営業とを事細かに対比して性風俗関連特殊営業の特別扱いを正当化する論理展開は、許可制ではないからむしろという点を含め、容易に他の業種や職業(個人給付の制度の場合)に適用できてしまうものではなかろうか。

なお、持続化給付金の対象業種についての制度論・法律論と、セックスワークはワークかという議論とは本来全く別個のものである。ただし、原告が「セックスワークにも給付金を」というフレームを立てて訴訟に臨んだことで、そこが歪んだ形で関連付けられてしまったというのがややこしいところだ。


持続化給付金訴訟は原告は性風俗業者で、当然給付金の対象は事業者。セックスワーカーの使用者が「セックスワークにも給付金を」と称しそのフレームを立てるのが論点のすり替えだし訴訟戦略としても失敗。ユニバーサルな給付金で特定業種のみ除外されることの正当性、合理性が中心争点。

セックスワークがワークであれば、それは第一義的に使用者と客に対する労働者の権利確立・主張としてである。その基礎がないあるいは曖昧なままに、対社会でワークとして認めろ、職業差別するなと主張してもセックスワーカーの立場は脆弱なまま。

今回の訴訟での国の主張も一審・控訴審判決もいわゆるセックスワーク/ワーカー差別は顔をのぞかせているがそれは主たる筋ではなく、「性風俗業者に出したら何か言われるんじゃないか」というところから「国民の理解」を持ち出し、各法の規定・運用をあれこれ持ち出し、論点先取の後付けの色が濃い。

特定業種の救済・振興ではなくユニバーサルな制度において、性道徳や多数派と仮定されるものの理解を根拠に排除に合理性があるとされたことが問題。この論理は容易に他の制度、分野にも持ち込まれ得る。コロナ対応含め他の制度では性風俗業者や従事者は対象となっており、なぜ持続化給付金は?も論点。

もっと言えば、国民多数派や政策担当者・運用者に性風俗業者やセックスワーク/ワーカーへの差別意識が《あったとしても》、それが持続化給付金の対象業種の判断に影響すべきではない。上告審では一審・控訴審でそこが直結されて判断されたことが争点となるべきだろう。

社会にセックスワーク/ワーカー差別意識があるから性風俗業者も差別されると言うのはもちろん短絡だし、性風俗業者への視線には「女性を食い物にしている」「男の欲望に乗じている」という見方が含まれ、むしろセックスワーク云々よりこれらの方が大きいだろう。

判決でも引かれた「性を売り物に」というのは直接的にはセックスワーカーではなくセックスワーカーの使用者を指したものだ。ただ、いずれであれ、その認識・意識の是非はこの訴訟の争点では《ない》。その認識・意識が《あったとしても》それが制度の運用において具現化することの是非が争点だ。

セックスワークが争点となるのであれば、成立しているセックスワークへの差別と同時に、否それ以前に、なぜセックスワークが「商売」として成り立つのか、なぜセックスワーカーを使う営業が成り立つのか、なぜセックスワーカーの圧倒的多数が女性だという非対称性があるのかが問われるべきだ。

職業差別を訴えるのであれば、差別の被害者として訴えるのであれば、それと同時に、否それ以前に、セックスワーカーを使う営業を行うことにおいて性差別をはじめとする差別意識が働いていないかを自問しなければならない。使用者とセックスワーカーの連合対国という構図は決して自明ではない。

国の主張と一審・控訴審判決のロジックを辿るだけではなく、原告側が立てたフレーム、訴訟戦略とのセットで見ないと、ただ「職業差別だ」で噴き上がって終わるのよ。

性風俗業であれ何であれ持続化給付金の対象から特定業種を排除することは制度論、法律論として合理性を欠くと私も考える。でもその撤回を勝ち取るために「セックスワークにも給付金を」というフレームを立てるのは誤りだし、訴訟戦略としても上手くないということ。

本気で持続化給付金からの排除の撤回を勝ち取りたいのか、プロパガンダとするために論点をずらして闘っているのかが、正直わからないのよ。これで本気に勝ちに行っているのだとしたらそれはそれだし。

ただこれが判例となってしまったら、性風俗業への影響に止まらない危険な前例となることを危惧するし、やぶ蛇の訴訟だったということになりかねない。はっきり言って、「セックスワークにも給付金を」のフレームで最高裁でもやるつもりなら上告しないでくれと思う。

ここは、「訴えているのはセックスワーカーでなくて性風俗の経営者でしょ」とか「持続化給付金は従業員ではなく事業者に入るんでしょ」とか冷めた目で見ている人にも気にして欲しいところ。

重要判例とされるものを見ていると、「何でこれ訴えた?」「何でこんな主張した?」と思えるものがあって、その結果としておかしな縛りとなる判例ができてしまったように見えるものがある。

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