生成AIによる擬似子どもポルノの見られ方、使われ方

この生成AIによる子どもの性虐待画像(擬似子どもポルノ)の問題も、実在の子どもが使われていないからいいという単純な話ではないし、直観的、感情的におかしいと思うという話も丁寧に言語化していかないと知らず知らず性道徳や健全育成の話にずれていってしまう。

前提として、人間の性は想像・幻想と切り離せないということがあり、しばしば権力性、差別性を孕んでいるということを押さえておきたい。

従来のCGもそうだが、なぜ擬似子どもポルノが求められるのか。一つには、「本物」の代わりとして、あるいはいきなり本物に手を出すのはリスクがあるから入り口として。そうであるならば、それは容易に「本物」を求める行動につながり得る(探すのであれ、自ら撮るのであれ)。このネット・SNS時代ではオンラインで子どもに接触し、性的画像を送らせることが容易となっており、生成AIによる子どもポルノからオンラインでの子どもとの接触へというというのは相性がいい組み合わせになるだろう。

もちろん、CGの質感や「理想に近づけられること」を好む者がいるように、生成AIを使うことで理想を追うことに惹かれる者もいるだろう。ただ、それが現実の子どもから隔離されたままと考えるのはナイーブだろう。擬似子どもポルノと特徴を共有する子どもに手が伸びるということはあり得る。「フィクションだと分かっている」というのはナイーブすぎる言明で、人は一方でフィクションで想像力を解放して楽しめる一方で、知らず知らずフィクションを現実に投影してしまう。フィクションの中の偏見だと意識的にはわかっていても無意識的に枠づけられていることは珍しくないなど。

CGでも意識的、無意識的に実在の子どもをモデルにすることはあるが、生成AIは性的画像ではないにせよ実在の子どものデータを元にするし、一般的には特定の子どもとは紐づかないが、「誰々をモデルに」ということも可能だ。現実への投影、特徴を共有する子どもという観点では注意すべき論点になる。実在の子どもではなく擬似画像だから気兼ねなく楽しめる、しかも生成AIの力で理想に近づけられるというのが肯定論になろうが、漫画・アニメ的なデフォルメとは違った意味での、リアルな形での理想の追求が現実世界での性行動、性的想像力に影響しない保証はないのは以上から明らかだろう。

同時に、一般的なポルノもそうだが、子どもポルノは子どもを性行為に誘う、抑制を解く、鈍感化・馴化させる等、現実の性虐待のために用いられることもある。生成AIによるリアルなイメージが古かったり不自然だったりする子どもポルノよりも利用しやすいということは懸念される。

このような擬似ポルノでは、例えば社会派のフィクションとは違って、子どもに対する性的欲望、性的眼差し、性行為が肯定される。単に内心で思い描くだけでなく、具体的な画像として形になる。その懸隔、飛躍は大きいし、生成AIを利用することでより能動的に具体化できる。一般の目に触れなければいいという意見もあるが、閉じたコミュニティでは欲望も認知、認識もその歪みが増幅される。そのことから生じるリスクは看過できない。愛好家から「子どもに性的欲望を抱くこと、性的対象とすること」の正当性が堂々と述べられることはあるし、虐待に発展する集団もある。

子どもへの性的欲望を「一部な特異な者のこと」と見下す形であれ「多様性」の言説に乗せる形であれ許容する空気があり、言論・表現の自由、内心の自由を強調する者もいる。それが「子どもを性的対象にすることは行き過ぎなければやむを得ない」という鈍感なコンセンサスにつながっていないか。「ロリコン」という形容が嘲りであれ自虐であれ笑いになり許容されているのがこの社会だ(逆に、正当な理由で子どもと関わることが「ロリコン」とからかわれる風潮もある)。そういうことが現実の子どもの性被害、セクハラ被害、性的眼差しの苦痛を覆い隠している面がある。

ただ、子どもに係る性(的)表現を一緒くたに論じてしまうと議論は混乱するだけである。描写の内容、文脈、そこに関わる子どもへの影響、子どもの目に触れるものであればその影響などを丁寧に腑分けして、それぞれに必要な対応を考えなければかえって有害な結果となる。

保守派的には、「子どもにAV・ポルノを見せるな」と「性教育で寝た子を起こすな」は同一平面上にあるが、「子どもにAV・ポルノを見せることは虐待だ」というのはそういう意味ではない。

上に述べた通り、AV・ポルノは子どもを誘導し、抑制を解きあるいは馴化させるために見せられ、実際の性虐待につなげられることがあるのが一つ目。あるいは、セクハラと同じ意味で、嫌がらせとしてAV・ポルノが見せられることがある。当人はからかい、コミュニケーションの意識である場合もあるが、子どもの胸や尻を触る、裸を見る、卑猥なジョークを言うといったことと同じく、子どもを傷つける行為。そして、線引きが難しい面はあるが、子どもがAV・ポルノを見せられて慣れ、内面化してしまうことで、性化行動につながったり性被害に遭いやすくなったりしまうことがある。これは性的虐待の影響としても起こることでそれとは同列にはできないが、虐待的な行為と言える。

このことは、スマホやPCの管理が甘いために非意図的に性的コンテンツが子どもの目に触れ、そこから子どもが興味を持って次々と閲覧してしまう結果としても起こり得る。それは虐待とまでは言えないが、危険性を認識しながら適切な管理を欠いたり薄々気づきながら放置したりは無責任だとは言える。一方で、保護者が適切に管理をしていても、家庭外で性的コンテンツに触れたり、子どものスマホ操作知識の方が上回る等で保護者の気づかぬままに触れたりすることは十分にある訳で、だからこそ年齢等に応じた十分な性教育が不可欠。歪んだ性知識が先に入ってくるのが常態なのだから。

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